インターネットとこころの悩み ver2

インターネットとこころの悩み

 現代日本に生きる人にとって、特に若い人にとって、インターネットや携帯が心理的環境の重要な一面となっている。ここではその現状を書き留めておきたい。特にここ十年くらいの社会の変化は情報化と少子高齢化で説明される傾向にあるが、それでどの範囲の事柄が説明できるのか、興味がある。実証的な記述ではないのが残念ではあるが、以下に印象を記したい。

Ⅰ ネット社会の特質

1 悪い面

 ネットや携帯が社会不安を引き起こしている。たとえば秋葉原事件、振り込め詐欺、出会い系、裏ハローワーク、殺人請負、学校裏サイトでのいじめ、韓国での芸能人自殺、違法薬剤の売買、自殺の流行などいろいろな事件がある。ネットと携帯は現代の「悪のゆりかご」の印象がある。共通項を次のように抽出できる。

A 匿名性

 実は匿名性はすでに見かけ上のものである。しかし自分のことを書かれた個人にとっては、誰が書いたのかを知ることは簡単ではない。被害を届け出る手続きが必要なので、実質的には匿名状況に近いとも言える。

 そのような中で、発信側について言えば、現実のその人からは考えられないくらいの過激な言葉を書いていて驚かされる場合もある。現実人格とネット人格に段差があるのではないかと思わせる例もある。受信側について言えば、韓国での事件のように自分について書かれた言葉に絶望して、命を絶つ場合もある。ネット被害から自分を守る方法を学び、周囲は心理的支えになりたいものだと思う。ネットリテラシー教育が必要で有効である。

B 孤独

 そばに話せる人がいないから、携帯に閉じこもり、書いてはいけないことを書いてしまうこともある。家族や友人とのリアルな交流がなければ、自分が発信しようとしている内容について、いったん立ち止まって表現を考え直す機会がなくなるかもしれない。表現が極端で断定的になることがあり、ときに過剰に他罰的となり他人を傷つけることもある。また逆に他人からの配慮のない一言に深く傷つく。傷つけるにしても傷つけられるにしても、現実社会の家族や友人などの援助があれば、緩和されるはずのものではないか。内容が少しきついかもしれないと思うメールを発信する場合には一晩くらい待ってみた方がよいようである。人に相談できる環境、アドバイスを受け入れるこころの余裕が望ましい。

 携帯でいつでも連絡できるからなおさら、心理的な距離が遠く感じられて耐えられないことも起こる。連絡しても返信がないと気持ちが落ち込む。携帯がかえって深刻な孤独を引き起こしている面がある。

C ひきこもり

 不登校の生徒がたいてい時間を割いているものは、ゲーム、ネット、携帯である。これには次の二つのタイプがあり対処が異なる。

 もともと対人関係の不全があり、学校に行きにくくなって、ネット社会に慰めを見いだした場合。このときは親が携帯とコンピュータを取り上げるとますます追い込んでしまうといわれる。

 もともと対人不全はなく、ゲームにはまり込んで不登校になった場合。これはゲームとコンピュータを親が管理することで解決する場合がある。

D ネットや携帯で特殊な仲間を見つける

 現実の生活では知り合うことのできないような、珍しい趣味の人と知り合うことができることは、いい面でもあり、悪い面でもある。将棋が自分と同じくらい強い人を見つけられるのはネット社会のいい面である。自殺、殺人、その他に興味のある人たちが容易に見つけられるのは、ネット社会の悪い面である。

E 陰湿ないじめ。

 これについては、日本と韓国だけではない。アメリカのティーンエイジャーについても報告があり、4分の3が被害を受けていると回答している。対策の第一はネットリテラシー教育である。また、イタリアからの報告ではカトリック教会の存在とか家族関係のあり方とか、家族や他人がどのくらい密に子どもに関わっているかの点で違いがあるようだ。ネットでのいじめに関しても各国で事情が違うようである。

F 性的暴力的情報

 最新機器は男性の性的興味を刺激することで発展してきた一面がある。一方、女性の場合には、各種メディアは痩せ願望を刺激する。抑制のきかない人や子どもに対しては、情報への接触を制限するフィルターが工夫されている。ゲームでは性と暴力の結合が問題視されている。

G 犯罪への入り口

 たとえば違法薬物の入手方法が分かるし使用マニュアルも手に入る。援助交際への入り口にもなる。犯罪へのハードルを低くしている。

H 子どもの養育に関する悪影響とゲーム依存・ネット依存

 小児科や学校教師の指摘によれば、まず育児において、テレビやビデオに育児をさせていることが問題とされる。これでは感情応答性がうまく育たない。小学生頃からはゲームに熱中することになり、これには親も手を焼いている。典型的には、夜更かし・朝寝坊になり、朝食を抜き、遅刻し、物忘れし、保健室登校し、不登校になる。そして本格的に一日中ロールプレイイング・オンラインゲームに打ち込むことになるらしい。このタイプのゲームは終わりもなく続く。チャットの要素も入っているので、完全な孤独でもない。時々は主催者側のイベントが入り、退屈しない。参加者と共同の行動をとることがあり、そこにはオンラインゲームなりの人間関係ができる。これは現実の人間関係よりも薄く一面的なもので、従って、現実の人間関係で行き詰まった人にはすこしほっとできる場所であるとも言われる。

 ネット中毒とかゲーム中毒といわれることもある。ゲームに熱中しているときの脳の働きを調べると、脳のきわめて一部分しか使っていないことが分かる。ゲームに時間をとられるので、共感性や社会性を発達させる機会が失われるといわれている。勉強と運動と遊びの時間がなくなる。

 小さな子どもの場合に、ゲームをしている間、親がそばで一緒に画面を見て、親自身が感情応答をして見せること、また子どもが反応したらそれに対して親が感情反応するというようにすれば多少はゲームの害を改善できるかもしれないとする提案がある。

2 よい面 情報ハイウェイ

 たとえば将棋の世界をとりあげると、将棋に関しての過去の情報を手に入れやすくなっているので、誰でも勉強できる。自分と同じくらいの強さの人とネットで将棋することもできて、急速に強くなる。ここまでがハイウェイである。昔では考えられない環境でみんなどんどん強くなる。

 しかしそこまでたどり着いてからあとが難しい。みんな同じことを勉強してきたので、差がない。強さも作戦も弱点も同じ。情報を共有しているから当然そうなる。そこから抜け出す方法は独自に工夫しないといけない。つまり情報ハイウェイを降りた場所からが難しい。

 また、似たようなことが翻訳の世界でもいえる。昔より格段に調べものがしやすくなった。あとは日本語の能力になってくる。

 それぞれの業界に情報ハイウェイがもたらしたものがあるようだ。IT業界はコンピュータのおかげで仕事ができたものの、かなり過酷な労働であり、不適応者が多数発生している。

Ⅱ ネット社会が自己愛性成分を増やすわけ

 最近は性格の中に自己愛成分を多く含んだ人が多くなっている印象がある。自己愛性の特徴は「傲慢、賞賛欲求、共感不全」かつ「臆病」とまとめられる。

 ネット・携帯社会だけではなく、少子化、大量消費社会、情報化社会などが複合して原因になっていると思われるのだが、ネット社会に関していえば、現実社会に比較して「簡単・確実・迅速」であることが特徴である。相手がコンピュータだから確実で迅速である。若い人にとってはコンピュータも携帯も簡単である。一方で現実社会は不確定で、他人の事情に左右され、複雑で、遅く、自分の予測した反応が返ってこないし、我慢が必要である。ネット社会のほうが居心地がいいと感じても無理はない。ネット社会に慣れた人は「苦労しない、待たない、確実、我慢ができない、何かあれば他罰的」という態度になり、これは大量消費社会の消費者の態度でもある。対人関係が客と店員、あるいは極端に言えば客と自動販売機のようになっていて、傲慢で共感不全であると他人には映ることになってしまう。「お互い様」が消えて、「相手の立場に立ってみる」ことが少なくなった。他人が自己愛的になると、自分も自己愛的にならないと傷つけられるだけだから、やはり自己愛成分が増えていく。一時は自己中心的という言葉が広く使われた。

Ⅲ 自己愛性成分を基盤にしてディスチミア親和型うつ病が発生する

 「傲慢、賞賛欲求、共感不全」の人が世間を生きていたら、他罰的なので人に嫌われ、期待した賞賛が得られず幻滅し、結果として人間不信にもなり、慢性持続性軽度うつ状態つまり気分変調症(ディスチミア)に近くなる。対人関係がうまくいかないのでうつにもなりやすく、その場合はディスチミア親和型うつ病になる。ディスチミア親和型うつ病は若者に多く、うつそのものは軽症であるが、治りにくい。他罰的で逃避的、仕事よりもプライベートが大事。集団との一体化は希薄で、学校時代には不適応はなかったが、会社には不適応という例が多い。やる気が出ないと言い、自分を生かせる職場を希望する。役割に固執せず、むしろ自己実現を価値の中心においている。

Ⅳ 幼児的自己愛性成分は本来どのように発展すればよいのか

 幼児的自己愛性成分が成長して次の段階に進まないのにも理由がある。

 傲慢な態度の背後に臆病があるのは自己愛型の特徴である。臆病ではないから傲慢なのではなく、臆病であるからそれを補うために傲慢である。生育歴でいえば、親が子どもを賞賛する場合には特に理由も裏付けもなく単にかわいい。親の態度を反映して子どもは傲慢になるが、何が裏付けなのか分からない。成長の過程で、自分は傲慢になる理由はないのだと悟る人が大部分で、一部の人は何か特別な理由で自分は傲慢でもいいのだと思うのだろう。しかしそのような体験もなく、子どもの時のままの心性を持ち越して、傲慢であるがその理由は分からず、従って、本質的には臆病であるような人がいる。自分の得意な領域にのみとどまりたいと思うのも、自己愛型の特徴で、臆病だからである。空想性が特徴の場合もあり、臆病と傲慢の間を空想で満たそうとする。自己愛的な怒りの背景にはやはり臆病がある。

 幼児的自己愛性成分は本来、発達の途中で社会的に肯定されるアイデンティティへと進展して解消される。そのときに社会の側が用意している主要な価値観がアイデンティティのガイドラインになる。儒教でも戦後復興でも高度成長でもアメリカンドリームでもいい。しかし現代日本ではかつての主要な価値観の場所に自己実現がある。自分のアイデンティティは本当の自分になることといわれて、その先に進めない。進めない状態がモラトリアムである。主要な価値観はもうこりごりだとの意見もある。価値観の多様化の中では主要な価値観の消失も当然だともいえる。しかし自己実現だけではアイデンティティ獲得が難しいことも確かである。地球を守るとか環境主義は今後の主要な価値観になりうるのかもしれない。

Ⅴ ネット社会の病前性格とうつ病

 うつ病には病前性格があり、様々に論じられてきた。自己愛性・ディスチミア・ディスチミア親和型うつ病も一つの系列であると思われる。

 これを系統的にまとめて論じる試みをしてみようと思う。

 うつ病の病前性格について、笠原嘉先生は「熱中性、几帳面、陰性感情の持続、対他配慮」とまとめている。

 わたしはこれを「熱中性、几帳面、陰性感情の持続」と「対他配慮」の二つに分けて考えたい。前者は生物学的な指標であり、後者は社会的習慣の問題である。

1 対他配慮

 昔は利他的対他配慮であったものが、いまは自己防衛的利己的他者配慮と見える。この部分の変化については、他者との関係の仕方そのもの、他者との距離の取り方もそのものに、変化が生じていると思われる。積極的利他的対他配慮をするということは、いつでも、報われない可能性を含んでいる。実際に報われなかったとき、かなりダメージを受ける。現代ではそのような利他的対他配慮ではなく、自分が傷つかないように、他者との距離をとっておくという防衛的な意味での他者配慮になっている。

 ハリネズミの比喩で言えば、昔は針に刺されて痛くてもいいから、他人を温めたかった。現在は寒くてもいいので、自分が傷つきたくないし、相手を傷つけたくもない。昔は温かい方が大事、現在は針の痛みを避ける方が大事という印象である。豊かな物質社会と少子化の結果といわれる。

 対他配慮は社会的成分であるから、社会のあり方と教育の結果であり可変的である。対他配慮が報われなくてエネルギーを使い果たし、結果としてうつになることは過去に多かった。それは社会の支配的な空気として、対他配慮が主な徳目であり、エネルギーを注入すべき対象であったからである。しかし最近は対他配慮の故に疲れ切るということは多くはない。むしろ、他人からの配慮がないから自分はうつになったと語っていて、向きが逆になっている。

2 熱中性、几帳面さ、陰性気分の持続

 これは生物学的指標であると考えてみる。

 一つの神経細胞に対する反復刺激を考えてみよう。キンドリング(てんかん)や履歴現象(統合失調症)のように、次第に反応が大きくなるタイプの細胞がある。これは躁状態と関係しているので、反復刺激に対して次第に大きな反応を返す特性を持った細胞をM細胞とする。

 次に、反復刺激に対して常に一定の反応を呈する場合がある。これは強迫性傾向と関係があり、A細胞と名付ける。

 反復刺激に対して急速に反応が減弱するタイプの細胞があり、うつに関係するので、D細胞と名付ける。

 MADの三種の細胞特性がどのくらいの割合で分布しているかが病前性格の一部を説明する。現実には筋肉や内分泌腺は反復刺激に対しては比較的急速な疲労で反応するので、筋肉や内分泌腺と並行するくらいに疲労しやすい細胞が大半になると考えられる。マラソン選手の筋肉を支配している神経細胞は筋肉と同じくらい疲労には強いだろう。

 コンピュータに向かっている人間は筋肉や内分泌が疲れるわけではないから、かなり持続できる。しかしその分、神経細胞にはダメージがたまる。IT産業従事者にメンタル障害が多いのはそのせいである。筋肉がストッパーになっていない。

 M細胞成分が強いものは双極性の性質を帯びる。BP(双極性気分障害)ⅠやⅡがこのタイプになる。BPⅠは躁状態+うつ状態、BPⅡは軽躁状態+うつ状態である。病前性格が循環気質で躁うつ病になったという場合、このタイプである。M細胞がぎりぎりまで反応している時期が躁状態であり、ダウンして機能停止すると、うつ状態となる。これを反復するのが躁うつ病の特徴である。

 社会全体が軽躁状態であるとき、BPⅡの軽躁状態は隠蔽されてしまうだろう。そのような事情もあって、明治時代から高度経済成長期に至るまで、BPⅡの場合に診断はむしろ単極性うつ病とされた。モーレツサラリーマンは軽躁状態だったのだろう。

 A細胞成分が強いものは強迫性成分が強くなる。メランコリー親和型うつ病はこのタイプである。反復刺激によりA細胞が疲れきって、機能停止する。そのときにはM細胞も疲労して休止しているので、うつ状態になる。M細胞が早く回復すると躁うつ混合状態になる場合もある。

 M細胞成分とA細胞成分が相対的に少ないものはディスチミア親和型うつ病になる。ディスチミアの人たちは、表面的には自分について自信をなくしているのだが、その内面には誇大的自我を持ち続けていることも多く、ときにそれが露出することが観察される。一方的な弱気ではない。

 執着気質はM細胞成分とA細胞成分が大きいものである。両者が機能停止すると、機能停止と回復の時間的プロフィールによって、躁、うつ、躁うつ混合状態、さらにそれと強迫性障害の混合が見られる。

 どの病前性格の場合であっても、反復するストレス刺激が持続した場合に、反応には限界が来て、まずM細胞が機能停止となり、次にA細胞が機能停止となる。その場合にうつ状態となるメカニズムは共通である。

 治療はM細胞とA細胞の回復を時間をかけて待つこと、自殺を防ぐこと、再発を防ぐためにメカニズムを教育することである。

 以上まとめると、熱中性の強いBPⅠ、Ⅱ。几帳面成分の強いメランコリー親和型うつ病。熱中性も几帳面もないディスチミア親和型うつ病。熱中性も几帳面も強い執着気質。どのタイプからも、昔風の対他配慮は失われていて、変質した自己防衛的利己的対他配慮が働いている。

 昔は圧倒的にメランコリー親和型うつ病が多く、一部が循環気質から発展する双極性障害であった。現代では各種うつ病が分散的に発現していると思われる。それは病前性格の変化と関係している。個人の中でも自己愛性成分が増加し、社会全体としても、自己愛性成分が増加していると思われる。自己愛成分が増えるに従って、ディスチミア親和型うつ病の割合が増えているような印象を抱いている。最近、BPⅡが増えているような報告があるが、躁状態を抑制する薬剤や、躁うつの波を抑える気分安定剤の使い方が様々に議論されているのと時期を同一にしている。

Ⅵ ネットリテラシー教育

 治療と並んで大切なのがネットリテラシー教育である。

 発信側として大切なのは、ネット上での匿名は一時的なものだと心得ることである。個人的メールについては、言葉の多義性について注意するのが良いと思う。声も表情もなくても誤解が生じないか慎重になることである。言い過ぎは後悔のもとである。

 受信者としては情報の真偽、発信の時期、情報の極端さとまじめ度を見分けたい。世の中全体の見取図が自分の内側にあれば、情報の極端さを評価できる。それは真偽とも好悪とも関係のないもので、ただ世界の全体の中ではどのくらい少数派か多数派かというだけである。しかしそのことをきちんと気にしておくことがいいと思う。オーム事件で学んだように、極端でかつまじめだったら、注意して扱う方がいい。