消えることのなかった深い傷

36年。大切なことなので収録。

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36年後の出来事

去る2006年で55歳になった女性。高校2年生(17歳)の秋に独語、興奮のため大学病院を受診し、beginnende Schizophrenieと診断される。その後、自宅近くにあった筆者の勤務先病院に紹介入院となった。思考化声・思考伝播・思考吹入などが見られるも、約9か月で軽快退院し外来通院へと移行、レボメプロマジン25mgを1日1~2錠で寛解を維持していた。

■筆者の転勤先に通院し続けた
20歳からは会社の事務員として働き、物静かな中にも青春の輝きが感じられたことを、今は懐かしく思い出す。
もともと無口な女性だったこともあって、家庭の事情(姓が3回変わった)や個人的な問題に立ち入ることはまったくなかった。
その後、筆者の転勤に伴い、公立病院の神経科に29歳から36歳までの7年間通う。37歳で会社を辞めたが理由も語らず、その後は自宅(実母と義父の3人暮らし)で家事の手伝いをしながらひっそりと暮らすようになった。友人はいないが、猫を飼っており、強いて趣味と言えば一人で映画を観に行くか家での読書ぐらいだが、家事で結構忙しく退屈はしないと言っていた。
さらに52歳までの17年間は、筆者の異動先である大学病院へ2か月に1回通院した。

■消えることのなかった深い傷……
最初の入院から36年が過ぎた。筆者は大学を定年退職し、診療所を開業した。最後の受診日にその旨を伝え診療所の住所を教えておいたが、ある日、母親から手紙がきた。
本人が受診するつもりで場所を調べたら、そこへ行く途中に昔入院していた病院があるのがわかって、その方向にはどうしても行きたくないと言っている。ついては今の大学病院で後任の医師を紹介してほしいとのことだった。
精神科病院に入院したことが、どれほど深い傷となってこの女性の心に刻印されていたか。それに気づかなかった自分の不明を恥じながら、晩年の心の平安を祈って後任の医師への紹介状をしたためた。

(八木剛平)