-「うつ状態」の症例定式化(フォーミュレーション)- 準了解性

本論文は、従来からの非常に重要な視点である、了解可能性の問題を土台として、準了解性という言葉を用いながら、現代的状況における了解性の問題を扱っていて、非常に重要であるとわたしには思われる。

『「うつ病」症状の中核的特徴は理論上,非了解的なものでなければならないのだが,その一般的特徴は健常者に理解されやすい,つまり素朴心理学の範囲内で理解されうるという外観を有している』
また
『「うつ病」の準了解性と神経症圏の病態の「了解性」を識別する努力が重要であり』

上のような指摘があり、さらに本文で詳細に述べられている。

了解的・共感的視点は常に必要であるが、うつ病診断のためには、病理構造の理解が不可欠である。それは了解は出来ないが、説明は可能である何ものかである。

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本やネットで、DSMで提示されている項目をチェックして、自分はいわいる「うつ」だと自覚して、病院に行く。このことで、精神科受診率は増加しているが、一方で、自殺者は減少していない。中核的うつ病者は、「不調を自覚して、うつチェックを自分で行い、クリニックに行く」のとは別の行動をとっている可能性がある。

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臨床精神医学34(5):593-604,2005
「うつ状態」の精神医学診
「うつ状態」の診立て方
-「うつ状態」の症例定式化(フォーミュレーション)-
松浪克文


1.はじめに

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精神科診療においては,患者の訴える精神的苦痛を「症状」として明確に把握することが常に可能ではなく,特に治療初期には,明確な診断が決まらないことが少なくない。1つには精神的苦痛が多様な表現をとって訴えられ,あるいはその表現が不十分だからであるが,受診経緯,診療施設のあり方,診療室の雰囲気,同伴者の有無,など実にさまざまな要因が患者の表出に影響するからでもある。特に初診時には,医師が患者の訴えのどの点に疑問を感じ,どのように尋ねるかによっても,その後の患者の表出は変化し,どの訴えが重要であるかも変わりうる。このような診療の場の相互的コミュニケーションにおける動的な意味のあり方を考慮すれば,診断に至るまでには少なくとも,治療者と患者が患者の訴えをめぐる諸事実を確認し共有するという作業が不可欠だといえるだろう。ほぼ妥当な診断はこの確認された情報が漸進的に蓄積していき,一定の量と質に達した段階で可能となるのである。その際,蓄積されるべき情報には,身体疾患や常用薬物(物質)の影響,意識状態,生活史的諸情報,病前のパーソナリティや能力の程度,病前の適応状況,病前の家族状況,サポートシステムのあり方,症状の発生過程および,誘因,症状の持つ状況的意味などの諸事実だけでなく,治療的コミュニケーションにおいて認められた患者の反応や行動様式,薬物の反応性,身体的および心理的諸検査の結果など診療が進行するにつれて得られる知見も含まれる。もっとも,このような意味での「診断」は単に疾患分類における位置を決定することではなく,発症と症状の治療可能性に関連する多重な要因をそれぞれの評価付けや各要因間の力学とともに認識することであるから,この目的のためには,患者の精神的苦痛を当面,「状態像」として把握しておき,疾患分類学が要請する要素的観察や症状学が背景とする仮説から自由でいる方が都合がよいともいえよう。あるいはまた,患者の抱える問題の特定の側面を明示的に「症状」として言語化し,それを治療契約を取り結ぶ足がかりにするようなケースでは,当面,状態像把握で十分だともいえるだろう。いずれにしても,「状態像」診断は精神科臨床のこのような特殊性の中で,確定診断が決まるまでの判断保留の時期に行われる暫定的診断として機能しているものと思われる。

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2.「うつ状態」診断が含意すること

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「うつ状態」診断を下した診断者の判断保留の理由は当然のことながら,〈「うつ病のようである」が「うつ病ではないようだ」〉と考えているため,つまり肯定と否定の,2つの漠然とした判断が下されているためである。前者の肯定的判断において診断者が当該の精神状態を「うつ(状態)」と特定する理由は何であろうか。それは,おおむね「憂うつである」「やる気がでない」「意欲がでない」などのような,臨床の場で遭遇する「うつ病」患者の訴えや言動のいくつかが認められるという事実と,診断者を含めた誰もが日常生活において経験的に知っている,憂うつな人間が表す表情や行動が認められるという常識的判断であるにの時点で,「うつ病」の可能性は否定されていない。前段の「うつ病の代表的訴え」の存否を経験科学的に確認するのにDSMやICDのような国際的診断基準を用いることが現今の精神科診断学の定石だが,その場合でも,前段と後段の判断はほぽ同質の判断になる。というのは,DSMおよびICD的診断における諸項目も後段の常識的判断も,いわゆる素朴心理学folk psychology(心的状態を用いて行動を合理的に説明するわれわれの日常的心理学)に依拠しているという点で同質だからである。

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素朴心理学を診断の道具の1つとすること自体には,その一貫性を保つ限り,さしあたり分類学的整合性にとっての問題はない。しかし,ここには了解性をめぐるうつ病特有の錯綜した事情が潜在しているように思われる。後に述べるように「うつ病」症状の中核的特徴は理論上,非了解的なものでなければならないのだが,その一般的特徴は健常者に理解されやすい,つまり素朴心理学の範囲内で理解されうるという外観を有しているためである。このように「素朴心理学的には了解できる外観を持ちながら,症状学的には了解不能である」ことを「偽了解性」あるいは「準了解性」とでも呼ぶことにすると,「偽(準)了解性」は素朴心理学による症状把握の限界を示しているように思われる。つまり,うつ病の訴えの性質は患者の述べた言葉から引き出される命題的内容だけからは正確に推論できないのであり,本来,「うつ病」診断は,患者の表出全体を対象にした症状学によって「偽(準)了解性」が否定され,了解不能な病態であると判断されて成立するのである。こう考えると,「うつ状態」診断に含まれる「うつ病のようである」という判断は素朴心理学的判断にとどまっており,「偽(準)了解性」についての吟味を経ずに成立した不完全な判断だということになる。この判断はまた,素朴心理学的である以上,明らかに非了解性を有する病態だという可能性を敏感に排除するが,一方,「うつ」と特定する意味でそれ以外の病態を否定していながら,了解的であることを暗黙に容認している点で,明らかに了解性を有する病態の可能性を排除してはいない。

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後者の「うつ病のようではない」という否定的判断の方は症状学の知識や臨床経験を背景にした専門的判断だといえる。というのは,「うつ病のようである」という素朴心理学的判断を否定するためには,素朴心理学に依拠しない基準を用いなければならないはずであって,そのような基準は何らかの専門的仮説あるいは理論によるものと考えざるを得ないからである。また,この判断は,「うつ病」診断を否定するほどの拘束性を持たないという点で「弱い意味で」否定しているといわなければならないが,それは,診断者が疑いのかかる程度の微細な差異や微弱な兆候soft signsによって消極的に「うつ病」診断を否定しようとしているからである。このような微妙な判断が可能であるという点でも,この判断にはやはりある種の専門性が要請されているはずである。

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表1 「うつ病ではない」という判断
専門的仮説あるいは理論による素朴心理学的判断の吟味
1.「うつ病」を「弱い意味で」否定
2.他の精神疾患を「弱い意味で」肯定(soft signsの存在)

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要するに,「うつ状態」診断は,素朴心理学的な「偽(準)了解性」という不完全な判断について何らかの専門的仮説あるいは理論を基準にした吟味が行われ,「うつ病」であることが「弱い意味で」否定される可能性と他の精神疾患であることが「弱い意味で」示唆される可能性を含意しているのである(表1)(なお,本稿では,治療初期から明らかにうつ病が否定され,他の精神疾患が容易に診断されうるようなケースはことさら「うつ状態」診断が用いられないと思われるので,問題にしないこととする)。

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3.「うつ病」症状の中核的特徴

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うつ病症状の中核的特徴についての緒論は,かつては大部分の精神科医が用いていた常に実践的仮説に基づいており,診療の現場では一種の暗黙の知識tacit knowledge的機能を果たしていたものと思われる。以下に,筆者自身が臨床経験上,うつ病診断について反省,自戒した事例を省みながら,改めてまとめてみたい。以下の項目のどれかの存在に(微かな)疑いがかかり,「うつ病」診断が消極的に否定されるときに「うつ状態」診断が下されているものと思われる。

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1.症状
医学において「症状」としてとらえられる現象は個体差を越えた普遍性と同一個体における反復性を備えていなければならない。例えば,炎症の腫脹,発赤,疼痛という性質は個体差を越えて普遍的であり,同一個体内において反復される。むしろ,個体差を越えた普遍性と同一個体内での反復性を有する身体的(心理的)現象でなければわれわれは「症状」としてとらえることはできない,といった方がより正確だろう。このことは,「症状」には,個人の固有性が現れないということを意味している。すなわち,「症状」には患者の人柄や発病までの人生のあり方や心理・社会的背景などに左右されない性質が含まれており,また,その性質は多くの患者が呈する症状に共通に含まれている不変項だということである。このような不変項が「うつ病」診断の根拠となる症状把握にも要請されていると考えなければならない(当然のことながら,これは症状の性質について言えることであり,症状とともに訴えられる患者の背景事情や心理的苦境,ストレスヘの対処法などについてのことではなく,また筆者はそれらの情報を吟味して発症をめぐる力学を考慮することの重要性を否定するつもりは全くない)。

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1)形式的特徴
うつ病は気分障害であり,かつ相性の病態であるから,定義上,症状の生起や消退に比較的,時日を要するものとされている(周知のように,国際診断ではこの持続時間が2週間以上と特定され,診断に要請されている)。一部の特異な変種をのぞいて,変動が短時日うちに起こり消退する精神状態はうつ病症状とは形式において質的に異なる。この時間的形式は反応性の病態や意識障害とは明確に異なる点である。

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2)非了解性
上記した「症状」の原理的性格を考慮すれば,「うつ病」の症状は「十分な」心理了解性を有していてはならない。つまり,うつ病「症状」には,個人の有する固有な心情や個別的意味関連とは独立した性質が含まれていなければならない。表2に筆者なりのうつ病症状の概観を示した(うつ病症状の診断基準のつもりではない。また,このように個々の症状別に分けて論じることには精神疾患の全体論的性質から見て問題がなくはないが,現時点ではこれ以外に方法はない。この難点は,DSM診断における症状群familial resemblance的把握によっても解消されてはいない)。

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表2 うつ病の症状の特徴,まとめ
Ⅰ(生気的)悲哀
Ⅱ(生気的)制止
Ⅲ自律神経機能の低下
Ⅳ三大妄想および関係妄想
Ⅴ希死念慮
Ⅵ日内変動

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このうち,うつ病の三大妄想や関係妄想(Ⅳ)は明らかに了解不能な現象であり,診断保留とする理由にはなり得ない。自罰的理由を有する希死念慮(Ⅴ)はうつ病特有の「症状」としての性質を備えているが,自我感情の低下に由来しない他罰的な考えから生じる希死念慮は,死ぬことを望む理由が背景心理と了解的につながっている点で「うつ病」に特有のものではなく,「うつ状態」診断が採用される可能性がある。日内変動(Ⅵ)は何らかの実体的症状の付帯的性質であって,表中の他の症状と同一レベルの現象ではなく,またそもそも心理的了解の対象ではない(その病態を理解することの重要性についてはここでは論じない)。また,睡眠や食欲の変化,頭重感などの自律神経支配の領域における症状(Ⅲ)はうつ病診断の必要条件とはいえるが十分条件ではなく,単独で診断的意義を有することはない。

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うつ病診断上問題になるのは(Ⅰ)と(Ⅱ)であり,「やる気が出ない」「憂うつである」などの趣旨の自発的訴え,特にその言語表現あるいは「文」の意味だけを判断の根拠とする視点からは,了解可能/不能の区別が困難だという点である。DSMIVやICD-10における(大)うつ病エピソードの診断基準の項目を注意深く考量しても,この点は十分には明らかにならない。(これらの診断基準は精神症状を量化して表現しているために,症状項目としてとらえられた精神現象の文脈的意義や,おのおのの項目の診断にとっての重要度の差異が捨象されている。端的に,現実には,これらの診断項目を満たしてもなお,「うつ状態」の診断が下される可能性がある)。


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筆者の考えでは診断学上のこの困難を救済する道は,今日では実証的でないとして参照されることの少なくなった「内因性」うつ病に関する症状学で論じられた,抑うつ感の①生気性,②非反応性,③非共鳴性などの性質を判断の指標とすることにあると思われる(ただし,これらの特徴の一部はDSM診断においても,melancholic features specifierにおいて言及されている)。本稿では詳述は避け,うつ病の抑うつ気分の非了解性にだけ触れておく。

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うつ病の症状について,健常人の有する意味での「憂うつ」という言葉のニュアンスが患者には通じないことが意外に多いという臨床経験はこれまでにも指摘されてきた。健常人がうつ病の抑うつ気分を理解する方法としては,各人が体験し,あるいは見聞した「憂うつさ」を参照するしかないのではあるが,そのような視点から〈どんな気分ですか?/何にお困りですか?〉と問いかけた時に,誘導されることなく端的に「憂うつ」という言葉を用いて答えるうつ病患者は意外に少なく,他の「寂しい」「悲しい」「むなしい」などの複数の陰性感情の表現がとられたり,質問と対応しない身体的愁訴が返ってくることが多い。あるいは,首を傾げ,表現に困り「何と言ったらいいのか……」と表現に困難を感じているような態度が認められる。つまり,患者当人にとってもうつ病の抑うつ感を表現する言葉はなかなか見いだしにくいのであり,われわれの日常言語の中にはこの病理的な気持ちをぴったりと言い当てる言葉が存在しないのである。そして,この不可解さ,把握の難しさとそのための当惑こそ治療者が共感しうるポイントである(診察の過程で治療者が「優うつ」という表現を用いて質問したために,患者の方が「優うつ」の語を受け身的に選択してしまうということさえありうる)。このことこそ,この症状が端的に了解不能であることを物語っている。このことから,筆者の考えでは,うつ病性の感情は喜怒哀楽の感情すべてにわたって,それらを十分に体験できないことであるという仮説は現時点でも十分,妥当な解釈であると思われる。「うつ病」のこのような性質は,DSM上はlack of reactivityという表現で一部提示されており,また欧米の教科書のケーススタディにおいても,患者の感情面の特徴を表すのにapatheticという言葉がときに用いられることがある。この症状が特に喜びや快楽の享受という体験面で最も深刻な問題になるのは,うつ病の症状が本来的にそのような快楽の喪失であるからというよりも,本来喜怒哀楽の感情の中で喜びや楽しみが生きていくうえで不可欠な感情だという初期条件のためだと考えることも可能であろう。

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一方,制止症状の方は,確実に行動面に露呈している点で比較的明白に把握できる。患者当人には能率や理解力の低下,物忘れ,失策,遅滞などとして自覚されるが,当初はこの自分の精神的機能の遅鈍化が自覚されていることは少ないのではないだろうか。うつ病の制止はむしろ診察場面の患者の行動において確認できる。例えば制止は話すスピードに端的に現れており,また話題に応じて表情が変化し,問いに適切に対応した応答が可能な場合,憂うつという訴えがあっても制止症状の存在は疑わしい。このように,制止症状は生理的機能の低下からも推し量られるが,本来的には生活行動のレペルで,すなわち衣食住と基本的な社会的行動のレベルで確認されるべきである。生活行動はスムーズに行えているのに仕事がはかどらない,能率が上がらないという場合は,少なくともfun-fledgedな制止症状とはいえないだろう。

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3)発症過程の非了解性
うつ病の発症過程は,少なくとも個人の背景的諸条件(病前の人格,個別的な心理的,社会的背景,固有の体質)から心理了解的には理解できないという性質を持つはずである。ただし,ここで臨床的に有用性を発揮する「了解可能」とは,特定の心理的事態の推移が,医師,患者を問わず,われわれが平均的社会人として共同体の他の成員と共有している感情や思考の変化可能性の範囲内にある,という直感的かつ素朴な常識的判断のことだと考えるべきである。したがって,昨今,十分に人口に膾炙した感のある発病状況論的理解朗や精神分析的解釈も,仮説による理解であって「了解的」な理解ではないことに留意しなければならない。臨床的によく遭遇する発症パターンであることは了解可能であることとは別の事柄である。臨床的には,患者自身が憂うつになった心理的な事情を明確に述べ立て,かつその訴えが医師にとっても十分あり得ることだと思える場合には了解可能な病態である可能性が高く,少なくとも中核的うつ病とはいえないだろう。反対に,昇進うつ病や引っ越しうつ病などの状況論的把握が可能であることが了解可能な発症を意味するわけではない。

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4)身体性
うつ病の気分状態が健常人の「憂うつ」な心理とは異なり,両者の差異は何らかの意味での身体性の関与にあることに異論はないだろう。上述したうつ病の体験構造的理解が妥当だとすれば,うつ病の「抑うつ気分」は患者には純粋な心理的事態とは体験されてはいないはずである。つまり,当人の背景事情や心理的体験の流れの中に十分に位置づけられない異質性を持っており,当人の精神の作用域にとってはどこか外来性のものとして,多くは,精神作用には外的な身体的機能の変質として体験されている可能性がある。これは能率低下や疲労感,倦怠感,各種自律神経症状の訴えと抑うつ気分がともに,Koerperとしての障害であり,かつLeibとしての病理であるととらえられなければならないことを意味している。患者が自分の「憂うつな気持ち」をあくまで純粋に心理的な事情を伴った心理的な苦痛として物語ることが可能な例では,抑うつ気分自体も純粋に心理的な体験として語られ,悲しみやむなしさなどの具体的感情が十分に説得性を持って表現されることが多い。

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2.心理の特徴
うつ病の心理学的な意味での特徴は「症状」としての資格を十分に備えているとは必ずしもいえない。というのは,強迫性や依存性などの用語は人間の心理についての抽象的な解釈概念であって,個々の症例において具体的に(症状としてとらえるための具体的対象というレベルで)どのように現れうるのかを予測,指示しないからである。また,多くのうつ病患者にこれらの心理傾向が確認されるということは,必ずしもこの心理的傾向を持つ人がうつ病であることを意味しないので診断的価値は大きくはない。しかし,これまで諸家によって提唱されてきたこれらの心理傾向は経験科学的判断における傍証として十分機能し,うつ病の病態を理解する仮説として多くの支持を集めているものと思われる。これらの特徴自身が「うつ状態」の病態把握や診断にとってのsoft signsとして重要な位置を占めてきたものと思われる(したがって,これらの特徴の否定もまた,「うつ病のようではない」ことを示すsoft signsとなりうるわけである)。

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1)強迫性
メランコリー型のような病前性格の理解に見られるように,従来,うつ病の心理の特徴として強迫性が指摘されてきたが,強迫性の現れをいわゆる几帳面であることとして理解すると,近年の几帳面なうつ病患者の減少傾向を理解できなくなる。しかし臨床経験上,一般に,うつ病の人がいったん受け入れたルールや習慣に違反することが少ないとはいえるのではないだろうか。むしろ,いったん決められた,あるいは習慣となった行動パターンを変化させることが難しいことや,自分の恣意的判断に左右されない固定されたルールを求める傾向はあり,これらはひとまず,一種の変化可能性の低下としてだけ理解しておいた方が実状にあうように思われる。近年のうつ病が私的領域で決まった行動パターンを持つこと,あるいは特定のライフスタイルを維持しようとする傾向があることは強迫性の顕現様態の変種として理解できるだろう。

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2)依存性
うつ病の患者が家族成員,ときに緊密な治療関係を持つ治療者に示す依存的態度も「うつ病」の心理の特徴といえるだろう。従来,遷延化した症例で確認されてきた点である。もっとも,近年はうつ病患者の早期受診傾向,薬物療法の進歩などにより治療関係が医学モデル的になり,精神療法に重心をおいてアプローチする治療者は多くはないものと思われる。しかし,若年のうつ状態患者には,初診時からこのような依存性を顕わに示すケースが増えている。そして,依存性に関連して論じられるのが,うつ病患者の自己愛の問題である。いわゆるnarcissistic supplyを常に必要とする傾向,dominant otherの存在,などとしてあくまでうつ病の心理という枠内で論じられてきた。近年の若年者のうつ病には当てはまることの多い視点だが,うつ病患者の典型例における自己愛は他人にそのまま表現されることはなく,社会的な配慮つまり対人状況への配慮という形で,つまり強迫的な防衛によって対人戦略的に加工されている。むしろ,明らかな自己愛性の病理が前景に立つ病像は「うつ病」症状を発症する心理的準備性が十分に形成されていないという認識で臨んだ方がよいものと思われる。

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3)同調性
「うつ病」患者が社会的環境との間に軋轢を招こうとすることは少ない。少なくとも,争いを好まないという傾向,自他を明確に分離することに抵抗する傾向を持つことは否定できない。職場に苦手な人がいるという場合でも,嫌いながらもなんとか協調の努力をするのがうつ病の人の基本的な姿勢と思われる。同調性の傾向は協調的態度,一体化希求などとして現れる場合が多い。同調性は,一般に社会人が多かれ少なかれ組織や共同体の中で要請されている性質なので,うつ病心理の「準了解性」と最も密接に関係しているものと思われる。すなわち,「症状」の非了解性にもかかわらず,症状をめぐる心理的布置や病前の適応的同調性が了解可能なのである。

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4)いわゆる攻撃性の内向
うつ病の心理についてはフロイト以来,攻撃性の内向という図式が用いられてきた。事実,例えばうつ病における希死念慮は自罰的性質のものであることが多いし,他人への迷惑を悔い,自分を責めるうつ病患者は多い。やはり,他罰傾向を前面に表現したり,具体的な攻撃対象を述べ立てるうつ病患者は少ないように思われる。

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5)発病状況と好発年齢層
うつ病は社会化の努力や自律性の維持と密接に関連した中年期発症の病態とされ,臨床的にも典型的な発病状況がほぼ診断の傍証として機能するまでにパターン化されて認識されている。しかし,DSM診断によってこのような仮説が排除されてから,また社会的状況の変化の影響もあり,うつ病はかならずしも中年期の病理とは考えられず,若年層におけるうつ病症例数が数多く報告されるようになっている。しかし,私見によれば,うつ病の発病状況を成長と衰退,強壮化と弱体化,拡大と縮小などの生の相反する運動が措抗する臨界状況であると考えれば,いわばこの中年期的状況は若年層にも起こりうる。ただし,これは環境への適応の努力や自律性や責任の維持といった社会的な課題を志向している人に当てはまることであり,この点は除外することができないだろう。したがって,より若年(10代,20代)に起こるうつ病については妥当しない。一般的に,より若年の抑うつの訴えはパーソナリティ形成の途上での困難である場合,自生的な双極性障害の初発,抵抗障害などであることが多いのではないだろうか。

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6)いわゆる基礎性格
メランコリー型や執着性格などの病前性格は少なくなったと言われて久しいが,まだ臨床的にはよく遭遇する。これらは強迫性の対社会防衛としての意味あいが強く,その分,社会的状況に影響を受けてさまざまな変種が生まれる可能性を持っているのだが,しかし,強迫性が倫理的審級にまで浸透していることはやはりうつ病になりやすい人々の特徴ではないだろうか。また,循環気質の人のうつ病親和性も重要である。すでに述べたが,循環器質的同調性や協調性,あるいは感情の豊かさ,エネルギーレペルの高さは,統合失調症的な疎遠な個人主義的雰囲気とは質的にことなり,これらも診断のためのsoft signsとしては十分機能しうるものと思われる。

4.「うつ病」診断を「弱い意味で」否定する因子

1.軽症うつ病の判断
「うつ病」診断を(弱く)否定する因子としてまず考えられるのは,軽症の病態である。一般に,重症度の判断は個人の社会的機能の障害程度や苦痛の程度によって素朴心理学的に行われうるが,軽症であることが「うつ病」診断を妨げるのかどうかについては微妙な問題がある。わが国における軽症うつ病概念やいわゆる逃避型抑うつとDSMにおけるDysthymia,Subsyndromal Symptomatic Depression(SSD)などの軽症のうつ病概念とは質的に異なる概念だからである。前者が提唱された意義は,素朴心理学的に軽症である病態が専門的判断によっては内因性うつ病と診断されうるという逆説にあるのに対し,後者は,DSM上のうつ病エピソード診断に要請されている症状項目数や持続時間が満たされないという意昧での軽度な症状が,素朴心理学的な重症度の判断によっては軽症ではなく,深刻な社会的機能の障害を招くという点で重要視されている。「うつ状態」の診断が行われている可能性が高いのは前者であり,後者は診断学上の量的差異によって早期に特定されうる病型であって,「うつ状態」と診断保留にされている可能性は少ないだろう。

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2.他の精神疾患を示すsoft signs
次に,「うつ状態」診断が含意する他の精神疾患あるいは病態を整理してみたい。「うつ状態」という診断を選択するという判断に含まれているはずの,他の精神疾患を想定させる因子を①器質性因子,②精神病性因子,③心理的反応性因子,に分けて概観してみよう(表3)。ただし,ここで「器質性」とは精神的異常に対して因果的効力を有する身体疾患や身体的現象によるものを指し,「精神病性」とは明らかに非了解性を有する精神疾患によるものを指し,「神経症性因子」とは(了解可能,不能を問わず)心理的反応として生起する心理状態を指すこととする。表4はうつ病発症と関連する薬物と身体疾患のまとめである。

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表3「うつ状態」診断が含意する他の精神疾患・精神状態
1)器質性因子
(1)症状性精神病
(2)認知症
(3)薬物(物質)の影響
2)精神病性因子
(1)統合失調症
(2)躁うつ病
(3)てんかん
(4)非定型精神病
3)心理的反応性因子
(1)神経症性障害
(2)パーソナリティ障害

表4うつ病発症に関連する薬理学的因子と身体疾患
Pharmacological

Steroidal contraceptives
Reserpine;a-methyldopa
Anticholinesterase insecticides
Amphetamine or cocaine withdrawal
Alcohol or sedative-hypnotic withdrawal
Cimetidine;indomethacin
Phenothiazine antipsychotic drugs
Thallium;mercury
Cycloserine
Vincristine;vinblastine

Endocrine

Hypothyroidism and hypertbyroidism
Hyperparathyroidism
Hypopituitarism
Addison’s disease
Cushing’sdisease
Diabetes melltus
General paresis(tertiary syphilis)
Toxoplasmosis
Influenza;viral pneumonia
Viral hepatitis
Infectious mononudeosis
AIDS

Collagen

Rheumatoid arthritis
Lupus erythematosus

Nutritional

Pellagra
Pernicious anemia

Neurological

Multiple sclerosis
Parkinson’s disease
Head trauma
Complex partial seizures
Sleep apnea
Cerebral tumors
Cerebrovascular disorder

Neoplastic

Abdominal malignancies
Disseminated carcinomatosis(文献23より)

1)器質性因子
何らかの器質的疾患で治療中の患者が「うつ病の疑い」で精神科に紹介された場合,あるいは何らかのうつ病的な訴えや身体的愁訴で受診した患者に身体疾患がすでに存在した場合に想定される事態として,
①すでに存在する身体疾患がうつ病の外因として特定されるもの(内分泌疾患,感染症,膠原病,神経内科的疾患,腫瘍,手術後の疲弊など)
②すでに存在する身体疾患の治療薬,あるいは常用物質にうつ病誘発性の作用がある場合(C型肝炎のインターフェロン治療,アルコール,ステロイドなど)
③すでに存在する身体疾患の闘病過程が発病状況として働き,発病を誘発したもの
④すでに存在する身体疾患の苦痛や闘病過程が重大なストレスとはなっていないもの
⑤精神的訴えに対するexaminationの過程で,精神障害に対して因果的効力を有する身体疾患が発見される場合,などが想定される。
①②は,症状性精神病(DSMでは器質性精神症候群,ICDでは症状性を含む器質的精神障害)のカテゴリーに入り,その部分症として「うつ状態」という診断が下されている場合である。もちろん,身体疾患が当初明確でなく精神的訴えで来院した患者に身体疾患が認められる場合もあるだろう(⑤)。リエゾン精神医学における事例化ではなく,憂うつであることを主訴とする患者で,かすかな物忘れ傾向や理解度の悪さ,情動の不安定さなどが併存するなどのsoft signsがある場合には,器質的疾患特に認知症の可能性がある。認知症初期のうつ状態とうつ病の鑑別は難しく,「うつ状態」と診断され判断が保留されるだろう。うつ病性の偽痴呆という診断カテゴリーもあるが,irreversible dementiaがうつ病を伴うreversible dementiaの43%に(うつ病のみ症例では12%)に見られるという報告もあり,抗うつ薬で治癒したかに見える偽痴呆の症例でもその後認知症に至る可能性は常に念頭においてよいだろう。
③④は治療過程に被る苦痛や不安,治療そのもののストレスなどに引き続きうつ状態が出現する場合である。総じて器質的疾患に引き続いて起こるうつ状態では,うつ病のようにみえる言動の出現が比較的短時日のうちに現れることが多く,また,そのような場合には,軽微な意識混濁が共存し,微弱なせん妄が疑われる場合が少なくない。うつ病の制止症状のように見えて実は周囲の状況を認識できていないこと,短期記憶のかすかな障害,当人が行動の現象を深刻には悩んでいないこと,症状の動揺などがチェックポイントであろう。ただし,闘病生活が持続的な誘発状況どなっている可能性も十分にある。しかし,④の場合は原疾患による誘発というよりは,家族などからのサポートが不十分であること,不安閾値の低さ/依存性の強さなど患者の元来のパーソナリティから十分な了解性を持ってあり得る事態だと考えられ,ストレス関連障害やパーソナリティの病理が想定されて「うつ状態」とされていることが多いだろう。

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2)精神病性因子
「うつ状態」診断の背景には,統合失調症,蹄うつ病,てんかん,非定型精神病などあらゆる精神病性の疾患が存在しうる。「偽(準)了解的」な訴えの中に,不協和音のように,「微かに」認められるより明確な了解不能性を有する言葉や行動,感情状態の性質が精神病性の否定因子として問題になる。てんかんに見られる不機嫌状態やいわゆる非定型精神病に含まれる気分の病理がそれぞれの疾患の特徴を確認するまでの間,「うつ状態」して診断が保留されているであろう。ここでは,特に微妙な症候soft signsによって「うつ病」との差異が問題となる統合失調症と躁うつ病についてだけ言及する。

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①統合失調症:いわゆる発動性の低下や自明性の喪失と言われているような病態がごく微かに疑われるときに「うつ状態」診断が用いられているものと思われる。より明確な了解不能性を有する言動や妄想性,幻覚性の病理ならば微かなものでも,現実には統合失調症が疑われ警戒されているだろう。しかし,診断者がこの重大な診断を下すのは時期尚早だと考えている場合も多く,むしろ「うつ状態」診断は社会的配慮という次元の問題かもしれないが,多かれ少なかれ,断定できないという診断学上の困難はあるだろう。そのような場合,診断者が統合失調症を疑う根拠はなんだろうか。実は,ここでも「統合失調症らしさ」という穏れた診断基準,むしろわが国では周知のpraecoxgefuehlや気質診断が傍証すなわちsoft signとして用いられている可能性がある。従来わが国で行われてきた統合失調気質の存在は実証的に証明されてはいないのだろうが,臨床的にはこのような気質判断も有用性を発揮するときがある。私見によれば,統合失調気質の人がうつ病圏の人々に見られる同調性という標識を有していないことは臨床的には明らかで,このことは,「うつ病」診断を否定する唯一の根拠とはならなくても,重要なsoft signとはなっているものと思われる。特に,統合失調器質の人が厳しい職場状況や複雑な人間関係の中で適応障害に陥り,不活発,無感情となっている場合には,当面「うつ状態」という診断が妥当な場合がある(統合失調気質の適応障害)。しかし,この点で診断上,優先されているのは,従来,行われてきた統合失調気質についての病理学的仮説よりもむしろ冒頭に述べた「うつ病のようである」という素朴心理学的了解性の判断である。実際,DSM診断上の大うつ病性エピソード患者の中には統合失調気質の人も数多く含まれ,将来,統合失調症を発病する危険性を有する一群も存在するものと思われる。国際的診断基準にはこの点を識別する診断力はない,というよりもむしろ,そのような診断変更の可能性を否定しない,という構想で作られているのだと理解しておくべきであろう。

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②躁うつ病:うつ状態に躁性の成分が混入しているという判断つまり,可能性として双極性障害を想定することは,気分障害の治療論にとって重要である。気分障害のすべての病態を躁とうつの混合様態としてとらえる視点もあり,それ自体は理論上,重要な示唆を含んでいる。実際,臨床的に「うつ病」診断はほぼ確実でも単極性,双極性の判断は明確に行えないことも多い。a)強い焦燥,興奮,不安,b)強力性を含んだ人格,c)感情状態の急速な変化,d)病前性格が循環気質やマニー型である,などは「躁うつ病」の可能性を考慮するsoft signとして重要であろう。特に,病前にマニー型であった人が重篤な身体疾患や深刻な挫折ののちに疲弊し「うつ状態」となる場合などは,患者本人が訴える抑うつ的な不調自体がマニー型に特有の活動レペルを維持できないという現状への批判あるいは嫌悪が病像心理の中心となっていることが多い(マニー型の疲弊)。さらには,うつ病症例の病前性格に循環気質的な同調性や常識的態度,協調性が十分に認められている場合には,一応躁転の可能性を念頭に置くべきだろう。

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3)心理反応性因子
①神経症性障害:明確な恐怖症性障害や強迫性障害が存在するときには,「うつ病」よりも「うつ状態」の診断が選択されるだろうが,周知のように,昨今のcomorbidityという視点からは「うつ病」診断は否定されてはいないことになる。特に,恐怖症については,パニック障害の並存やうつ病の社会復帰の時期になって現れる職場状況への恐怖症的心理が代表的なものだが,どちらも「うつ病」の診断と並存しうる。強迫性障害の場合は,明らかな強迫行動や強迫表象が存在し生活の障害となっていれば「うつ病」診断が保留されるだろう。上述したように,うつ病に特有の強迫性は社会的機能として患者の人格の中に浸透し,患者の手順や手法あるいはライフスタイルと融合していることが多く,いわぱ自我親和的かつかろうじて適応的であるのに対し,強迫性障害の強迫性は自我違和的であり社会的機能を妨げる方向性をとっていることが多い。

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ストレス反応や適応障害とうつ病との異同は常に問題となるところである。上述したように,これらの病態における症状には了解性があり,この点で「うつ病」症状と区別されるべきである。この意味でも,「うつ病」の準了解性と神経症圏の病態の「了解性」を識別する努力が重要であり,またこのことは,治療初期には的確に行えないものである。

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②パーソナリティ障害:いわゆるclusterC(回避性,依存性,強迫性)の障害はそれぞれの病理がうつ病の病理の中に含めて考えられうることもあり,また現実に,これらの病態が「うつ病」による障害度を超える重篤さを呈して病像の前景に立つことは少ないので,軽症の場合には「うつ病」診断を否定するsoft signとして機能することは少ない(もちろん,そもそも「うつ病」の症状が明確でないときにはパーソナリティ障害の診断だけが採用されるだろう)。clusterA(妄想性,シソイドパーソナリティ,失調性)とclusterB(反社会性,境界性,演技性,自己愛性)が明らかに認められる場合には,むしろうつ病症状よりもパーソナリティ障害こそが生活にとっての主要な障害となっていることが多い。また「うつ病」がパーソナリティ障害の生む軋轢やストレスとは独立に出現することは少ないので,挿間的に出現する「うつ状態」という認識で治療されていることが多いだろう。この場合にも,DSM的診断学に従う限り,うつ病の診断は可能であって,多くはパーソナリティ障害とのcomorbidityと認識されて「うつ病」診断は維持されうる。特に微妙な問題となるのは,自己愛性の場合で,この障害を持つ人はまさに「うつ状態」に陥ったことで事例化し,初診時には抑うつ的であることを主訴とする場合が多い。「うつ病」にも自己愛の病理が想定され議論されてきたのだが,上述したように,うつ病症状の中核的特徴と強迫性の質に注目することによってこの2つを識別することが可能だと思われる。

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5.おわりに;「うつ状態」をめぐる症状間の治療論的ヒエラルキーの視点

以上述べてきたことを,概観するために表にまとめておいた(表5)。冒頭に述べたように,状態像診断は原理的には,診断学,疾病分類学,病態仮説から自由な把握法なのだが,治療論的視点に立てば,むしろ標的となる治療対象を選択する点でも有利でもある。特に,複数の病態のcomorbidityが問題となる症例においては,疾病学的に「うつ病」よりヒエラルキーの高い疾患の存在が強く疑われても,当面は「うつ状態」の治療を優先させ,あるいはその逆の治療方針をとるべきケースが往々にしてある。2,3例を挙げておくと,インターフェロンやステロイドによって治療中の「うつ状態」で,原疾患である肝炎の治療とうつ病の治療のどちらを優先させるかは,それぞれの症状の重篤度や治療局面の差など多要因によって決定され,必ずしも原疾患の治療が優先されなければならないわけではない。反対に,一過性の病的な対人過敏性や状況とそぐわない被害念慮や恐怖が見られる統合失調気質の人の適応障害の症例では,現に抗うつ剤が奏功し気分状態としては復調したとしても,うつ病患者の心性を基礎理解として環境適応のアドバイスを行うのでは長期に見て治療的にはならず,やはり統合失調症的心性を念頭に助言していく必要がある。あるいは,マニー型の生き様を続けられないことが持続的な閉塞感を招いて「うつ状態」診断が下された症例では,長期的には,当面の治療対象であった「うつ病」の治療原則として休養の勧めを説いても安定は得られず,むしろ病前性格に含まれる病理を重視して,自由度を求めるマニー型の動きそのものはある程度容認しなければならない。さらには,境界型や自己愛型のパーソナリティ障害にみられる「うつ状態」では,むしろうつ病よりもパーソナリティ障害の方が患者の生活を障害する程度が甚大で,治療の標的となるのはパーソナリティ障害の方である。

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表5「うつ状態」診断に含まれる諸判断

1.「うつ病のようである」という判断=「偽(準)了解性」の容認
素朴心理学的判断
①うつ病に見られる代表的な症状のいくつかを確認
②常識的な「憂うつ」の判断
2.「うつ病のようではない」という判断=1.の判断を吟味
①「うつ病」を「弱い意味で」否定
a.「うつ病」の中核的特徴が不十分
b.「うつ病」心理の特徴か不十分
②他の精神疾患を「弱い意味で」肯定;soft signsの存在
a. 器質性因子
意識障害の有無の確認
身体疾患の存在
薬物ないし物質摂取の影響
b. 精神病性因子
統合失調症;同調性の否定・気質診断
躁うつ病;躁性成分の混入,マニー型の診断
c. 心理反応性因子
神経症(強迫性障害,恐怖症,ストレス反応,適応障害抑うつ反応型など)
パーソナリティ障害(境界型,自己愛型など)

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このように,「うつ状態」という診断の背景にある疾患や精神病理をふまえて,実際にどのような症状や行動を治療の課題とするのかは,診断分類学上のヒエラルキーによらず,現実に患者のどのような苦痛や障害が患者の固有性を障害しているのかという視点,許されている期間内でどの症状に最も治療可能性があるかなどの治療戦略的視点から決定されるべきものだと思われる。しかし,治療論的な症状ヒエラルキーは分類学上のヒエラルキーと全面的に対立するものではもちろんない。社会適応という目的のためには,疾患分類の整合性を重要視するtop downの視点だけではなく,実践の中に法則性を見いだすbottom upの視点をも加味して総合的に判断することが重要だということである。

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