山内教授のうつのお話-8

司会.簡単すぎるので心配になります。

PEY.ひとつのモデルとしてなるべく単純で広く説明可能なものを提示しました。
しかしこのことで治療が決定的に変わるということもないのです。
MA細胞を保護して回復を待つだけ、それが治療です。

司会.セロトニンの話はどうなったのでしょうか?

PEY.それはMA細胞の機能停止の結果、セロトニンが減少するので、それを補うのだと思います。

睡眠や食欲を整え、自殺を防げるならいいことです。

司会.最近の新しいうつ病にも適用してよろしいのでしょうか。

PEY.当然です。
むしろ、MAD成分の絡みあいが躁うつ病の本質であり、
時代を通して変わらない成分です。
ここまでの話では、社会との関連はまったく言及していません。
これまでのうつ病論は医学論ではなく、途中から検証不可能な社会論になってしまっていたのです。
その時々の流行りものだっただけで、
ネーミングがよければ、人々の印象に残る、その程度です。

世の中全体が頑張りすぎで、
それについていけない人をうつ病と呼ぶとしたら、
それは医学的な病気とは呼べません。

みんなが美白を目指している時に、
色黒の人がいたとして、
それを病気とは言わないわけです。

司会.笠原先生の4軸は、
1.陰鬱気分の持続、2.対他配慮、3.強迫性、4.精力性・強力性です。
1.3.4.はMAD理論でぴったりですが、対他配慮についてはいかがでしょうか。

PEY.それはうつの本質ではありません。
時代精神との相関で、非常に目立つものが、
対他配慮だったということではないでしょうか。
従って、そこはむしろ時代によって変わる部分です。
そこを本質の一部としていたら、
ドイツ・日本が世界の一流国になろうと努力していた時代の、
狭いうつ病だけしかうつ病ではなくなってしまいます。
他のすべては、不全型とか未熟型になってしまうわけです。
そうではなくて、
これまで説明したようなMADのかかわりがうつ病の中核と考え、
各時代を覆う優位な精神が症状を修飾すると考えます。

司会.現代的な特徴といえばどうなるでしょうか。

PEY.非常に多様な社会になっていますから、
一つの特徴で現代のうつを言いあてることも無理なことでしょう。
今までいくつか提案されているような病像は
それぞれによく病像を言いあてていると思います。

私としても、日本全国のすべてのケースを経験しているわけではなく、
「ある場所ではそのような人たちが多い」というのならそうだろうと思うだけです。
施設により治療者により、場所により時代により、
かなり変化しています。

脳が脳を見ているからです。
例えば、脳が心臓を見ているのが循環器科ですが、
そのような場合とは異なり、
治療者の脳と患者の脳が向き合うとき、
複雑なことが起こってしまうわけです。

うつ病の性格構造の基本はやはり、「MAD+対他配慮の欠如(昔に比較して相対的な欠如)」
として記述できるだろうと思います。
しかしこの場合も、人間として当然あるべき対他配慮が壊れているという意味ではありません。
前の時代には確かにあった対他配慮がいまは失われているという意味です。

司会.対他配慮欠如型うつ病と表現していいでしょうか。

PEY.悪くはないですが、
対他配慮がないからうつ病になったのではないんですよ。
みんなが対他配慮のない社会になって、
その中でうつ病になる人は当然、対他配慮欠如型うつ病になるだけのことです。
前の時代との対比をいうならそれでもいいでしょう。
病前性格としても、執着気質やメランコリー親和型から、対他配慮を消去すればいいわけです。

司会.対他配慮がなくなった原因はなんでしょうか。

PEY.一人で生きていけるようになったことです。
配慮しなくても生きていられるならそれでいいわけです。
ただし、もっと大きなものが欲しいとか、
他人の持っていないものを欲しいとか思うなら、
対他配慮が有効です。
相手が低級ならば、対他配慮は損をするだけです。
相手が高級なとき、対他配慮は最善の戦略です。
ただ食べて、コマーシャルを見て、それ以上人生に何も求めないなら、対他配慮は無用です。

司会.基本で申し訳ないんですが、死別反応や失恋とうつ病の違いをMADで説明できますか?

PEY.そうですね、死別のときにMAが活動して疲労するわけではないですからね。
急速に起こりますから、一種の解離反応に近いかもしれませんね、うつというよりは。
MA部分が活動停止する点では似ています。
疲労して活動停止するのではなくて、急激なショックで仮死状態になるわけです。
それはうつ病の一部に似るでしょう。

司会.明らかにうつ病が増えていることに関してはいかがでしょうか。

PEY.昔なら、たくさん労働するといっても、筋肉労働ですから、限界がありました。
頑張りすぎれば、うつ病よりも先に、肉離れとか、アキレス腱を切るとか、
あるいは筋肉疲労の蓄積とか、一般に、休めのサインになります。

しかし現在は、脳から書類やコンピュータへのアウトプットですから、
運動器官の疲労がストッパーになっていません。
せいぜい目が疲れるとか肩が張るとか、そんな程度です。

だから神経ばかりがどんどん疲れてしまいます。
それでうつ病が増えるのだと思います。

司会.自殺はこのモデルで説明できますか?

PEY.自殺についてはよく分かりません。
動物モデルが難しいようです。
多分、自殺をするという意思は、未来の予測や意志に関係していて、
そのように未来を構想できるのは、人間の脳だけではないかと思います。

そして、未来をよく考えて、死んだ方がいいと結論するというのは、
やはり判断というか、脳の中の天秤がずれているのだと思います。
その点で精神病ですね、ひとつには現実検討が正確ではないかもしれない。

自己破産したとしても、その後生きていくモデルはたくさんあるわけで、
そのあたりをもっと共有できればいいですね。

「申し訳ない」気持ちばかりが先にたつのだと思います。
時代との相関があり、地域の特色もある現象ですから、
MAD理論のような、単純な生物学的なものではなくて、
もっと高次な、人間学的な現象だろうと思います。

(つづく)