ドーパミン仮説とサリエンス 

ドーパミン仮説とサリエンス – 『「身体副作用」がわかる』 吉南病院 内科医 著から引用 (2006年1月) —

ドーパミン仮説とは

 コカインやアンフェタミンなどの麻薬は、幻覚・妄想を引き起こすことが知られています。コカインやアンフェタミンの薬理作用はドーパミンの放出を促すことですから、ドーパミンの過剰と統合失調症の精神症状は間違いなく関連しています。
 Seeman らの有名な研究結果 (1976) に、「臨床的に用いられる抗精神病薬の量と、そのときのドーパミン受容体遮断作用は相関する」というものがあります。
 Kapur らはPETを用いた研究で、抗精神病薬でドーパミン受容体を65%以上遮断すると治療効果として抗精神病作用があらわれ、78%以上遮断すると、錐体外路症状が出現することを示しました。ドーパミンを適度に遮断することで抗精神作用が得られるのですから、統合失調症の病態は、「ドーパミンの過剰放出」が推測されるのです。

発病前の変化

 統合失調症は、ある日突然、発病するのではなく、幻覚・妄想にいたるまでに、緩徐なプロセスがあるこが分かってきています。
 発病前の病態に関する研究によると、発病前の時期に多くの患者さんは、「環境の何かが変化しはじめた」と感じるといいます。以前は気がつかなかったことに気づいたり、以前は意味を感じなかったことに意味を見出すようになるなど、非常に軽度の認知障害 (些細な変化) が起こると考えられます。
 この変化が脳内のどのような生化学的変化に基づくのかはわかっていませんが、この状態にドーパミンの調節障害が加わると幻覚・妄想に発展すると考えられています。発病前に軽度の認知障害があり、そこにドーパミンの調節障害が加わり、ドーパミンの異常な放出が起こると統合失調症が発病するのです。

ドーパミンは何をするのか

 ドーパミンは新しい報酬 novel reward がもたらされると放出されます。宝くじに当たれば、非常に多くのドーパミンが放出されるでしょう。もちろん良いことばかりではなく、悪いことでも放出されます。そういう意味では、新しい変化 novel alteration が放出の引き金になります。急に見知らぬ犬があなたに向かって吠えたら、やはりあなたの脳内にはドーパミンが放出されます。
 放出されたドーパミンが何をするのかというと、新しい変化を理解しようと学習を可能にし、行動を起こすことを可能にします。あの売り場で買った宝くじが当たったのだから「宝くじはあそこで買うべきだ」と考え、実際再び宝くじを買うかもしれません。あの犬は鎖につながれてはいるが突然吠えるので「この道はなるべく避けよう」と思い、別の道を通るかもしれません。
 つまりドーパミンは新しい変化で放出され、学習 (想起) を可能にし、行動を可能にするのです。

際立って高い「山」をサリエンスといいます

 日常生活の中では、新しい変化は連なった山のようにあります。それらの山 (新しい変化) の中でも、高い山の峰のことを、「サリエンス ( salience : 突起)」といいます。ドーパミンをたくさん放出させる高い山のことを「動機的サリエンス」と呼びます。

妄想とは

 統合失調症を発病する直前の人のことを考えてみましょう。
 例えば、交番の前を通った時、以前は警察官の視線は気にならなかったのに、「最近、警察官は私を執拗に見ている」と感じるようになった場合 (新しい変化) 、この人にとって警察官は動機的サリエンスになっていますので、警察に関連するものを見るとドーパミンが異常に放出されます。
 すると今度は、放出されたドーパミンによって、「なぜ警察官は私を見るのか」と執拗に考えます。些細なことが思考の関連を作るわけです。「警察は私を監視している」「警察は私の心を操作しようとしている」と思うようになるのです。
 ドーパミンの異常な放出が、奇異な認知の連関を形成し、奇異な行動を起こすことになります。
 Kapur は、「妄想とは患者が異常なドーパミン放出に課す認知的図式である」と表現しています。

治療とは

 病院に連れて来られた患者は、抗精神病薬による治療を受けます。治療が成功して適度にドーパミンが抑えられると、幻覚・妄想は軽減します。
 このとき患者さんは「警察は私を監視しているけれど、それはあまり気にならない」とか「警察官が私を注視している時間が少なくなった」と表現します。抗精神病薬によりドーパミン受容体を適切に遮断すると、すでに発症している症状のサリエンスを目立たなくさせるのです。
 妄想をなくすことが抗精神病薬の役割ではありません。サリエンスを低くし目立たなくさせることが治療となります。
 サリエンスが低くなり、妄想があまり気にならなくなれば、心理教育の出番となります。認知行動療法やSSTが重要になってきます。

ドーパミンを抑えすぎると

 大量の抗精神病薬によりすべての山を平らにしてしまうと、日常の生活で、驚き、感動することができなくなります。ドーパミンを抑えすぎると、「妄想に関連する山 (サリエンス) 」だけでなく、感動し、学習する「正常の山」もなくなります。つまり認知機能、学習機能は低下します。
 ですから理想を言えば、非定型抗精神病薬でドーパミンを適度に押さえ (ドーパミン調節不全をコントロールする) 、あとは心理教育で、新たな学習をすることが大切であるといえます。