患者さんの語る言葉

患者さんは必死に
心の状態や体の状態を言葉で表現しようとする
必死だから創造的になる

治療者はそのような言葉に日々接しているので
自然に言葉の集積ができる
これは患者さんの言葉を正確に聞いている治療者にしかできないことだろうと思う

病気のつらさや微妙さを言い表す言葉を聞くことについては、
一般の人たちよりは経験がある
毎日そのことばかりしているのだから

そうなると、
新しい患者さんの話を聞いて、
たとえば、こういうことですか?
などとたとえ話をして
うまく当たることもある
次はこうなるだろうなと思って当たることもある

治療者が無からクリエイトしているのではないけれど、
患者さんの言葉をそのまま言っているのでもない、
微妙な感じだ。

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当院でも二人新しい治療者が仕事を始めた
最近の日本人はなどと
小言をいうことが多いのだけれど
今回は逆で
最近の若い日本人は
二人ともまことに優秀である
やはり今をリアルに生きている治療者にしかできない治療
というものがある

しかし一方で少し古い治療者がいいこともある
と言い添えてはおきたいが
強くは言えない

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わたしはディズニーランドに行ったことがない
今後も多分行かないだろう

先日同世代の人と話したら
娘に言われて連れて行ったという
ディズニーランドでは
ビールが飲めないので
家族とは別行動で
ホテルで一人で酒を飲んでいたというのだった
ディズニーシーというものがあって、
そこでならいいのだという

家族をディズニーランドに連れて行ったのに
妻子が喜びはしゃぐ顔も見ないで
なんて愚かな奴と
言いながら
考えてみればわたしは
ディズニーランドに家族を連れて行かないし
ビールも飲まないのだった

きっとディズニーランドの体験のある治療者が適切な場面もあるのだろうと思う
比喩としてであるが