香りとの付き合い方

周囲への「香害」要注意、上手に香りをまとうための3カ条
気温や湿度が上がるに連れ、周囲のさまざまなニオイに気づきやすくなるもの。気づいたあなた自身も、周囲から見たらニオイの1つだ。蒸れる季節を控えた今こそ心得ておきたい、人に好まれる「香り」のまとい方とは?
2008年05月09日 15時31分 更新
 春は年間で最も過ごしやすい季節。その一方で湿度・気温とも上昇してきたため、室内や通勤電車内での蒸れたニオイなど、さまざまなニオイが気になりはじめたりもする。ただ気にはなっても目に見えないのがニオイ。だからこそ見た目以上に気を遣う必要がある。

 ニオイの好みは人それぞれ。自分がいいと思えば、それはその人にとっていい香りになる。とはいえ、他人にとっては嫌なニオイと受け取られることもあり得る。無意識に嫌なニオイをまき散らすのではなく、好感を持たれる「香り」をさりげなくまとうには、なにをどう意識したらいいだろう。基礎となる心構えを押さえておこう。

第1条:感じ方は人それぞれ。聞香に息づく「奥ゆかしさ」を意識せよ
 
色とりどりの「印香(いんこう)」。印香とは、粉末にした香料を花などの形に押し固めたお香のこと。熱した灰の上に載せて薫じ、楽しむ。写真は「印香 姫の香」(2940円)。赤紫が「春の花」、緑が「夏の陣」、黄が「秋の夕べ」、青紫が「冬の朝」 ※写真提供:松栄堂

 手本となるのはわが国のお香文化だ。といってピンと来る人はそういないかもしれない。ちまたにあふれる身近な香りは、ビジネスパーソンの七つ道具でも取り上げたコロンタイプのように、パルファンやオーデコロンなど西洋から来た香水がその代表格。片や日本の香りはせいぜいお線香程度だ。ドラッグストアなどの店頭で香水系の方が圧倒的に多く陳列されている現状からも、お香は香水に比べて影が薄い。

 だが創業300余年のお香の老舗、松栄堂12代目の畑正高氏によると、日本のお香文化は1400年以上の長い歴史を持つ。その間に多種多様なお香やその楽しみ方が生まれ、発展してきたという。線香はお香の1つにすぎない。わが国のお香文化は西洋の香水文化とどう違うのか。

 まず状態が違う。お香は、香水のようにアルコールに香料を溶かした液状のものではない。ほとんどが固形だ。使い方も違う。基本的には直接肌に付けることはせず、布などに移した香りや、熱を加え立ち上ってきた香りを楽しむ。

 つまり西洋のように直接まとうのではなく、間接的にまとって楽しむのが日本のお香文化だ。だから強く香りがちな香水に比べて、お香は自然とやわらいだ香りになりやすい。
 
聞香専用の聞香炉を手にしているところ。中央に小さく置かれているのが香木の一片だ ※写真提供:松栄堂
茶席のお香版ともいうべき「香席」で聞香を楽しんでいるところ。手を香炉にあてがって香りを「聞く」。松栄堂の京都本店では、月に1回「聞香の会」を開催している。東京では青山香房で、希望すれば聞香が体験できる ※写真提供:松栄堂

 畑氏によると、お香の原料は東南アジア産の香りの良い木(香木)や貝殻など。これらは、昔は命がけで海を渡って運んできたから貴重だった。そのためお香文化は、線香が庶民に行きわたる江戸時代以前は特権階級に限られていた。

 お香の貴重さを象徴しているのが、室町時代に体系化された「聞香(もんこう)」という楽しみ方だ。聞香とは、茶わんによく似た聞香炉という器に入れた熱い灰の上で、香木のかけらを薫じ、香炉に手を添えて鼻に近づけながら、立ち上ってくるかすかな香りを静かに「聞く」というもの。

 香炉に近づけた鼻と香木の間は数センチしかない。この至近距離ですらかすかにしか香らない繊細な香木を楽しめるとは、実に奥ゆかしくはないだろうか。次にいつ手に入るか分からない貴重な香木。最後の残り香まで余さず楽しみたい――。聞香からは当事の人たちのそんな思いまで「聞こえて」きそうだ。

 聞香は、香道(こうどう)と呼ばれる世界ではお香の正式なたしなみ方である。「軽々しく扱うべきではない」(畑氏)香道とは、室町時代に開花し、京都では今でも脈々と息づいている芸道のこと。茶道や華道のお香版といえば理解しやすいだろう。香道では、香りは「におう」でも「かぐ」でもなく、「聞く」という表現をする。

 香りの好みは人それぞれ。しかも強すぎると「くさい」と悪評を買い、周囲に不快感を与えてしまうリスクを伴う。香りとは、それほどデリケートなものなのだ。だからこそ目指したいのは、聞香における「奥ゆかしさ」である。

 香りと奥ゆかしく付き合うには、具体的にどうしたらいいのだろう。

第2条:「香害」に注意! 嗅覚は鈍磨するものと認識せよ
 
4月下旬に開催された早朝イベント朝EXPOの1つ、24日のイベントで講師を務める畑氏。会場の丸の内カフェでは「源氏物語」や「枕草子」を通して、お香文化を深く掘り下げた

 「例えば誰かの家を訪問したとき、玄関に入ったとたん独特のニオイがしますよね。でも自分の家は全然におわないと思いません? 実は人間の鼻というのは、次々に新しいニオイに慣れていくものなんです。嗅覚(きゅうかく)が鈍磨してしまうんですね」と、畑氏。

 つまりどれだけ気を付けていても、同じ香りを身に付け続けるだけで、鼻が慣れて自分ではニオイを感じなくなる。これが公害ならぬ「香害」の始まりだ。

 せっかく付けているいいニオイを感じ取れなくなった本人は、自分でも感じることができる量まで、付ける香りの量を増やしていく。その結果、周囲が「くさい」と感じてしまう事態に陥るのだ。しかし、この事態を「防ぐ方法はある」(畑氏)。

 それは嗅覚が鈍磨するという認識を持ち、意識的に同じ香りを毎日付けないこと。「普段は数種類の香りをローテーションで使うのがいい」という。

第3条:最高の香りは、特別なときのみと心得えよ
 嗅覚が鈍磨するという認識の上で、さらに上手な香りの楽しみ方がある。それは最も気に入っている香りは、「普段は付けないこと」。その代わり、ここぞという特別なときに付ければ、いつまでも最高の香りを楽しめるそうだ。

上手に香りをまとうための3カ条
第1条:感じ方は人それぞれ。聞香に息づく「奥ゆかしさ」を意識せよ

第2条:「香害」に注意! 嗅覚は鈍磨するものと認識せよ

第3条:最高の香りは、特別なときのみと心得えよ

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これもCM記事。
癒し系はアロマオイルなどが席巻していて、日本古来の香りは影が薄くなっている。いいものであるが、お寺や仏教を連想する人も多いことが難点である。抹香くさい。アロマの方が日本人にはおしゃれな感じがするだろう。西洋では当然、魔女狩りとか錬金術とか異教徒の歴史と結びついているような気がするが、知らなければ気になるはずはない。

朝にシャワーする習慣などが一時言われてすぐに廃れた。

バブルのワンレンボディコンの頃にきつい香水もはやって、ポワゾンなどが雑誌に出ていたと思う。

家庭を訪問すると各家庭に匂いがある。しかしそれも許容しようではないか。お互い様だし、すぐに慣れる。赤ん坊やお年寄りがいれば仕方がない。

個人的にはきつい香水が好きなので、問題はない。