医療事故調法案騒動

とても参考になります。

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医療と司法をめぐる騒動:医療事故調法案騒動から見えてくる医療政策立案プロセスの変化

 2006年2月の福島県立大野病院産科医師逮捕事件を契機に、司法と医療の関わり方について国民的議論が巻き起こっています。厚労省は2007年3月から「診療行為に関連した死亡に係る死因究明等の在り方に関する検討会」(以後、検討会)を立ち上げました。2008年4月に第三次試案を発表しましたが、この検討会は迷走を続けており、決着までには時間がかかりそうです。この検討会のプロセスを丹念に振り返ることで、医療界の合意形成の仕方、政策形成過程が変りつつあることが理解できると思います。今回は、この問題を解説したいと考えています。

■医療が刑事処分の対象となった経緯

 まず、医療が刑事処分の対象となった経緯についてご紹介します。皆さんは、異状死や医師法21条という言葉をお聞きになったことがおありでしょうか。異状死とは犯罪や、感染症など公衆衛生的な問題が疑われる死のことで、明治以来、そのような死体を診察した医師は警察へ届けることが義務化されています(医師法21条)。こ
れは、当時の社会環境を考えると極めて妥当な判断だったのでしょう。
 終戦後、新生日本の体制整備の一環として厚生行政に関する法体系も整備されました。その一環として、1949年、旧厚生省医務局長が医療は警察への届け出対象ではないと通知し、医療者・司法関係者の共通認識となりました。副作用や合併症など医療行為による死亡は警察の取り扱う範囲ではないことを確認したわけで、これは世界的には常識です。

 一方、1994年、法医学会が異状死に関するガイドラインを作成し、診療関連死を異状死(副作用や合併症による死亡)に含めるべきと主張しました。このガイドラインが作成された経緯については様々な噂があり、正確な事情は分かりませんが、このガイドラインは一任意団体の主張に過ぎず、医療現場や司法関係者への影響はほとんどありませんでした。

 この流れが変わったのは1999年の横浜市大、都立広尾病院などの医療事故、およびその後のメディア報道の増加です。そもそも、行政府はメディアに影響されるものですが、このような報道を受け旧厚生省は2000年に国立病院マニュアルと死亡診断書記入マニュアルの中に診療関連死を異状死に含めると記載し、医師法21条を拡大解釈しました。この結果、2000年以降、病院からの警察への届け出が急増し(前年比400%)、警察の立件数も増えました。この件について、飯田英男・元検事、太田裕之 警察庁刑事企画課長は検討会にて、刑事立件が増えたのは病院からの届け出が増えたからに過ぎないと説明しています。つまり、医療における刑事事件の増加は、患者・家族の不満が高まったことが直接的原因ではないわけです。

 その後、2004年に都立広尾病院事件の最高裁判決が出て、病院長は医師法21条違反で有罪となり、診療関連死が異状死に含まれることが法的に確定しました。つまり、この裁判以降、病院で医療事故により患者が死亡した場合、警察に届け出なければならなくなりました。更に、福島県立大野病院事件では稀な妊娠合併症で手術中
に妊婦が死亡したのですが、この担当医が逮捕されたため、稀な手術・治療合併症で死亡した場合も警察に届け出るケースが増えています。

 現在、医師法21条は、患者と医療者の間の信頼感を醸成する上での大きな障壁となっています。現行の運用状態では、院長、警察、メディア、検察が自己の責任を逃れようと動いているため、医療事故について検察は立件しないが、警察から検察への書類送検だけが増える結果となり、送検時のメディア報道を介し、国民の医療不信が増強されています。私の知る限り2008年1-3月の間に18件が医療過誤で書類送検されていますが、国際的にも前代未聞です。

 医師法21条問題を振り返れば、その引き金は厚労省のマニュアル変更です。注意していただきたいのは、厚労省のマニュアル変更は法改正とは異なり、国会や社会のチェックを受けないことです。医療者は医療への刑事介入を議論する際に、法医学会ガイドラインの果たした役割に注目しがちですが、むしろ、この問題は厚労省の裁量行政の後遺症と考えるべきで、我が国の医療行政でのチェックシステムの不備を示しているでしょう。

■厚労省検討会設置の経緯

 次に、厚労省検討会・自民党医療部会の経緯について説明します。福島県立大野病院事件以降、医療関係者は政府・与党に警察が医療現場に介入しないこと、医師法21条の改正、および医療事故調の設立を強く要望しました。このような要求をうけ、2007年3月、厚労省は医療紛争処理に関するパブリックコメントの募集を開始し、4月から8月まで計7回の検討会を開催しました。この時点では、厚労官僚の行動は医療現場を何とかしたいという純粋な善意に基づくものだったと思います。

 この検討会の議論についての詳細はロハスメディカルブログ(http://www.lohasmedical.jp/blog/)をご参照ください。ロハスメディカルとは朝日新聞を退社した川口恭さんという記者が運営しているメディアです。彼は医療事故
調についての全ての検討会を傍聴し、速やかにブログやメールマガジンで報告しました。彼の記事を通じて、何万人という医療関係者が検討会での議論を知り、大きな衝撃を受けました。彼は、厚労省記者クラブや既存の業界メディアとは異なる切り口で解説し、既存メディアが書けなかった事実を明らかにしました。プロの記者がブログで厚労省検討会に関する詳細な情報を提供したのはおそらく初めてであり、厚労省にはプレッシャーとなったことは想像に難くありません。

 この検討会で特徴的だったのは、厚労省が座長に刑法学者である前田雅英教授(首都大学東京)を選んだことでした。厚労省は医療事故の真相究明のための検討会とうたったものの、その関心は刑事手続きにあったことが伺えます。また、読売新聞関係者も検討会委員に入っており、12月6日の法案内容の是非より自民党と民主党の対立に重点を置いた同紙社説へと繋がっていったのでしょう。言い古されたことですが、メディアと権力の立ち位置はむずかしいことを実感します。

 次に特徴的だったのは、検討会の中で委員からは様々な意見が続出し、とりまとめが困難だったことです。たとえば、2007年8月の検討会による中間とりまとめでは懸案事項に関しては両論併記のスタイルをとっています。このように医療紛争処理に関しては医療関係者の間でも意見が割れ、議論を尽くすには時間が足りないことは明らかでした。ちなみにマスメディアは、この事実には全く触れませんでした。

■厚労省第二次試案が医療現場の大反発を引き起こした

 この医療事故調問題が医療者の大きな関心を引くのは、2007年10月17日に厚労省が第二次試案を発表してからです。第二次試案では前述の中間とりまとめで両論併記された部分は、医療現場の厳罰化・統制をもたらす制度が採用されました。

 この第二次試案の骨子は、医療現場で診療関連死が発生した場合、医療機関は厚労省内の医療事故調に届け出ることが義務化され、怠った場合には厚労大臣が罰則を課すこと、および医療事故調での調査の結果、故意・重過失と判断された場合には警察に連絡し、また不適切な行為に関しては厚労省が行政処分を課すことでした。

 この試案に対しては、全国から反対意見が続出しました。印象的だったのは、早稲田大学で法社会学を研究している和田仁孝教授の意見です。彼は、「法律学者は、理念や規範的視点からあるべき論で構成し、できてしまえば、ほったらかし。現実への洞察はできないし意図的にしない。」「ジャーナリズムは「制度の理念(=お題目)」と「制度の現実機能」と、焦点がずれたまま議論が展開しています。ジャーナリズムには、制度の現実機能について洞察する試みだけでもしてもらいたいものです。」「医師は、理念ではなく、現実に制度として動き始めたときに何が起こるかと
いう点を直感的・体感的に見抜いての反発だと思います。」「組織はできてしまうと、当初の理念でなく自己保存の論理が運用基盤となります。」と述べています。従来の医療界には、和田教授のようなものの見方をする人は殆どいませんでした。彼の言論が著作やインターネットを介して、多くの医療者に影響を与えました。

■自民党は現場の反発に反応せざるを得なかった

 自民党は2007年11月1日、医療紛争処理の在り方検討会(座長 大村秀章衆議院議員)を開催しました。その中で、座長である大村議員は医療紛争処理案の作成を厚労省・総務省・警察庁に委ねる旨を発言し、日本医師会代表の竹島康弘副会長、検討会委員の山口 徹 虎の門病院院長などは厚労省第二次試案の趣旨に賛同し協力
を表明しました。

 このニュースは業界メディアで報道され、多くの医療関係者の不興を買いました。特に、虎の門病院の小松秀樹医師は2007年11月17日に長崎県で開催された第107回九州医師会医学会の特別講演で厚労省第二次試案の制度設計の問題点を指摘し、試案に賛成した日本医師会執行部を強く非難しました。当日、会場では大きな拍手が沸き起こったようです。小松医師の主張は「日本医師会の大罪」「日本医師会の法リテラシー」としてインターネット上で公開されています(http://mric.tanaka.md/)。

 このような小松氏の意見は幾つかの医療メディアで配信され、多くの医療関係者が関心を持つようになりました。この結果、医療事故調の問題は、各地の医師会、病院会、学会、インターネット上で議論されるようになり、彼らを通じて地元の国会議員、業界団体幹部、メディアに情報が伝えられました。

 その後、自民党は2007年11月30日に医療紛争処理のあり方検討会を開き、とりまとめ案を提示しました。自民党案は厚労省第二次試案と基本的に同じですが、医療現場の反発を受けマイルドな表現になりました。たとえば、医療事故調査委員会は国の組織(第二次試案 厚労省)、委員会の届け出を制度化する(第二次試案 義務化)、行政処分は委員会の調査報告書を参考に医道審議会が行う(第二次試案 行政処分に用いる)と表現されています。医療現場の意見に柔軟に対応した自民党議員の努力には敬意を払いますが、自民党案は玉虫色で複数の解釈が可能であり、医療者の懸念は払拭されませんでした。

■舛添厚生労働大臣、野党、業界団体の反応は?

 医療事故調に関しては、厚労省、自民党以外でも活発に議論されました。

 舛添要一厚労大臣は、厚労省試案の完成度は不十分と首尾一貫して主張しています。例えば、2007年11月16日の衆議院厚労委員会では、社民党 阿部知子議員の質問に対して「厚労省が試案として出しているものが完全とは思っていません」「行政がかかわった調査報告書が裁判過程に使われることに対する懸念は現場から聞いています。これをどうするか。ADR(裁判外紛争処理)の位置づけというものをもう少し工夫すべきではないか」と回答しています。また、2008年2月5日、参議院予算委員会では社民党 福島みずほ議員の質問に答え、「厚労省が権力的に介入することがあれば、かえって現場の医師を萎縮させる」「設置にあたっては国民的な議論を行った上で結論を出す」と回答しています。更に、2008年2月27日に厚労省の職員に対し、「各種の審議会についても、自分の役所に好意的な委員を中心に集めることがあってはならず、」「審議会委員の人選を抜本的に見直し」「大臣の目指す方向と背反する政策を進めんがために、たとえば族議員に働きかけをし、その圧力でもって大臣に政策変更を迫るなどは、断じて許されないことです」」と発言しています。このような舛添厚労大臣と厚労省担当者の意見の違いを見る限り、この国の厚生労働行政の責任者は誰であるか首をかしげたくなります。官僚が素案を作成し、検討会の権威を借りて正当化する、いわば「官僚内閣制」の姿を垣間見るようです。個人的には舛添大臣の開かれた議論を求める姿を高く評価したいと思っています。

 一方、野党の議員の多くも厚労省試案の拙速な法案化には反対しました。民主党の足立信也参議院議員は、12月4日の参議院厚労委員会で「死因究明は双方の納得のために行われるべきものであり、対話こそが大切である」「平成16年医師の職業倫理指針にもあるように、調査結果報告書は不利益処分に使用されないように決めて欲
しい」と発言しています。彼は、国会議員の中でもっとも臨床経験が豊富な医師の一人で、その発言には現場の実感がこもっています。また、民主党の鈴木 寛参議院議員は、ロハスメディカル3月号にて「医療安全調査委法案が成立すれば救急医療は崩壊します」と訴えています。鈴木寛議員は旧通産省出身で、政策立案の専門家とし
て、厚労官僚が作成した試案が実際に運用された場合の問題点を指摘しています。さらに、医師出身の議員である共産党の小池晃衆議院議員、社民党の阿部とも子衆議院議員、日本新党の自見庄三郎参議院議員も国会にて厚労省試案に対する懸念を表明しています。

 日本医師会、内科学会、外科学会など多くの業界団体も厚労省試案に対する意見を発表しました。筆者の見るところ、検討会の委員、あるいは彼らの所属する団体は厚労省試案に好意的でした。また、全国医学部長病院長会議、日本産婦人科学会を除き、既存の学会、学術団体が批判的なコメントを表明した例は殆どありませんでした。一方、現場の臨床医が個人として回答した場合、厚労省試案の評価は低く、例えばNext Doctorsというベンチャー企業の調査によれば、厚労省試案に賛成している医師は10%に過ぎず、反対は69%にものぼりました。この乖離は極めて示唆に富みます。この事実は、業界団体の多くが構成員の意見を適切に反映できておらず、政府案の権威付けに利用されている可能性を示唆しています。

■厚労省は第三次試案を発表した

 厚労省は第二次試案発表後に合計五回の検討会を開催し、着実に法案提出の手続きを進めていきました。検討会では前田座長を中心に委員の意見が集約されていきましたが、依然として医療現場の反発は強く、医療界全体としてのコンセンサスを形成するには至りませんでした。このため、2008年4月3日に厚労省は第三次試案を公開し、世間に意見を求めることとなりました。4月20日現在、厚労省は第三次試案に対するパブリックコメントを求めています。舛添厚生労働大臣は、第三次試案で国民的な合意が得られれば今国会での法案提出を目指すが、意見が集約されなければ第四次試案を作成することを明言しています。

 このように医療事故調法案の作成においては、与党、業界団体を中心とした従来型の根回しが通用していません。その理由として幾つかの可能性が考えられます。

 まず、舛添要一厚生労働大臣の存在が挙げられます。前述しましたように、彼は官僚からの報告を鵜呑みにせず、責任者である大臣として独自に判断しています。これは、彼個人の能力に負うところも大きいのでしょうが、外部人脈を用いて厚労省の外からの情報を積極的に入手していることや、メディアを使い、国民への情報開示に努めていることは高く評価できるでしょう。

 第二に民主党の参議院議員を中心とした野党議員の反対が挙げられます。マスメディアでは、福田総理と小沢党首の対立軸に重点をおき、ねじれ国会の負の側面を喧伝する傾向があります。しかしながら、医療事故調問題のように野党議員の積極的な発言が政府案の完成度が高めることもあり、ねじれ国会の意義は複眼的に評価すべき
です。

 第三に業界メディアの発展が挙げられます。特に、この数年の間にソネットエムスリー、ロハスメディカル、日経メディカルオンラインなどのオンラインメディアが発達し、経験を積んだ記者が独自の取材に基づく記事をタイムリーに発表したことは注目に値します。オンラインメディアは紙面の制約がないため、十分な量の情報を提供することが可能です。また、厚労省記者クラブのメンバーでないため、独自の取材を元に記事を書かざるを得ません。このため、結果として厚労省発表をチェックする役割を果たしています。医療事故調を取材しているマスメディアの記者達は、記事を書く際に、このようなオンラインメディアを参照していると聞いています。このような動きは、医療界における「メディアチェーン」形成の萌芽かもしれません。

 最後に、医療関係者が地元の国会議員やメディア関係者に大量の電子メールを送り続けたことが挙げられます。電子メールであれば、議員やメディアに連絡する心理的障壁も低く、市井の勤務医も参加可能です。一方、選挙を控えた国会議員は、地元からの意見には極めて敏感です。この結果、従来の族議員の枠を超えて、多くの議員が
医療事故調を議論するようになりました。医療界と利害関係のない議員が議論に参画することにより、その結論はより公正、妥当になります。

 このように振り返ると、IT技術の普及が医療界のコンセンサス形成の方法を大きく変えつつあることがわかります。

■厚労省第三次試案の問題点

 厚労省第三次試案について解説します。第二次試案に対し医療現場から強い非難をうけたため、その表現はマイルドになりましたが、実態は第二次試案と殆ど変っておらず、重大な幾つかの問題を抱えています。

 第一の問題点として、医療事故調が設立されても、警察の「不適切な」介入はなくならないことです。検討会の多くの委員は、「法務省も警察庁も謙抑的に対応するといっており(樋口範雄 東大法学部教授)」、「法に書けなければ運用も含め、厚労省の公式文書として出す(木下勝之 日本医師会常任理事)」「医師の代表の目を通した後でなければ、刑事司法は動き出さないというシステムが構築される(前田雅英首都大学東京 教授)」という発言を繰り返しています。更に、最近になって、厚労省の二川一男 医政局総務課長が「警察は通知の有無を踏まえて対応する。通知がない場合は調査委員会での調査を進める。」と発言していますが、この発言は信頼できません。なぜなら、厚労省の検討会で委員が何を言っても、司法機関への強制力を持たないからです。

 元検事である河上和雄氏は「医療安全調査委員会の結論が刑事法上の責任追及の責務を負っている警察、検察に対して拘束力を持たない以上その結論を尊重するといっても、具体的事件においては無視される可能性が高い。」、あるいは「過失概念は法的概念であって、医学的概念ではない。医師を中心とする委員会の委員で真の意味の
過失概念を理解している人物を多数揃えることはまず不可能であろう。」と述べ、医療事故調のあり方について疑念を表明しています。また、H20.3.21に行われた福島県立大野病院の論告求刑では、検察は「基本的な注意義務違反であり、その過失は重大である」「事実を曲げる被告の態度は許し難い」と主張していることは注目に値します。彼らの意見を読む限り、検討会関係者の主張は司法関係者のコンセンサスとはなっていません。このように医療関係者と司法関係者の間には、実態として大きな考え方の齟齬があります。この齟齬は、医師法21条の変更や事故調査期間の創設など手続きを変更しても解決できません。

 第二の問題点として、厚労省内に医療事故調を設立し厚労省が調査権と処分権を併せ持つことは、「医療の正しさ」を厚労省が判断する国家統制を招き、医療の発展を阻害することが挙げられます。成熟した民主主義社会では医療の正しさは政府の判断に委ねるのではなく、医療者と市民が対話、試行錯誤の末に理解するものです。あまり報道されていませんが、現在、厚労省は医療法を改正し、病院への立ち入り調査権・処分権限を強化しようとしています。これまで同法に基づく調査・処分権限は、大学病院などの特定機能病院を除き、都道府県知事、および政令指定都市市長などに付与されてきたため(医療法25条)、屋上屋を重ねることになります。この法律にもとづく業務改善命令は医療事故調と連動するとされており、第三次試案通りに医療事故調が設立されれば、行政処分のための「医療警察」として機能する可能性が高いでしょう。舛添厚労大臣は、この問題を危惧していますし、ソ連や東欧諸国などの統制主義国家では医療の進歩が損なわれたこと、愛媛県宇和島市立病院で行われた病腎移植についての厚労省・学会の魔女狩り的対応をみれば明らかでしょう。万波医師による病腎移植では、これを問題視した厚労省が、医学的妥当性の議論ではなく保険診療報酬請求をチェックし、多くの「不正・不当」請求を発見し、保険医療機関の指定の取り消しをちらつかせていることは御存知でしょうか。まさに、「別件逮捕」であり、保険医療機関取り消しによる地域住民への迷惑など全く考慮されていません。

 第三の問題点として、事故調査の領域では調査結果を不利益処分に用いないことは国際的常識であり、処分と連動した場合には現場での隠匿、相互不信、ひいては萎縮医療を助長するというものです。これは、安全管理・事故調査料域の科学的真実であり、議論の余地のないところです。私たちは医療事故調では医学的判断だけを行い、その結果は全て患者、医療者に正直に返せば良いと考えています。患者に法的助言を行うのは、門外漢である厚労省とは別の枠組みで考えれば良いのではないでしょうか。

 第四の問題として、一度出来てしまった組織は当初の設立理念ではなく自己保存の論理が運用基盤となります。医療事故調に過失に関する法的判断を委ねれば、どうしてもグレーゾーンのケースを扱わざるを得なくなります。この場合、厚労官僚は自らの責任回避のため、過失の可能性がある案件は警察へ通報し、一方、警察官僚は自らの責任を回避するため、医療事故調という権威から送られた案件を立件せざるを得ません。この結果、医療事故調での調査は不適切な刑事介入を誘導する可能性が高くなります。医療問題に詳しい井上清成弁護士は「いずれは厚労省試案に「責任追及を目的とするものではない」と明示されるだろう。しかし、明示したからといって、医療者の責任追及が制度の目的ないし意図ではなくなるだけである。責任追及の制度として機能するであろうし、制度が責任追及の結果をもたらすであろう。」と主張していますが、まさに正鵠を得ています。

 第五の問題点として、民事訴訟の問題が挙げられます。多くの法律家からは、「当事者同士で納得ができていてもペナルティまで科して強制的に届出させ紛争化する事故調のシステムは、患者遺族の心の平安を害するだけ」「医療安全の名の下に過失判断までするのに損害賠償は訴訟をしないと得られない」という声を聞きます。金銭的補償は、医療事故に遭遇した患者にとって極めて重要です。時間と費用がかかる民事裁判制度の充実ではなく、無過失補償制度の迅速な創設が望まれるのではないでしょ
うか。

 最後に、もっとも重要な問題として、厚労省、および検討会委員は、新しく創設する制度の長所ばかりを強調し、その問題点を患者・医療者に説明していません。彼らは、私たちは警察や法務省と話し合って、うまくやりますという主旨の主張を繰り返していますが、これは全くナンセンスです。なぜなら、国民は検討会の委員には専門家としての適切な助言を求めているのであり、政治的判断を期待していないからです。

■まとめ

 持続可能な医療システムを構築するには、医療を適切な情報公開、および関係者の熟議による合意形成が必要不可欠です。日本の医療が、従来の官僚主導の統制システムでは、対応できなくなりつつあることは、誰の目にも明らかです。医療事故調問題は、医療現場にとって、この問題を解決するための試金石とも言えます。医療現場再生のため、国民的議論が繰り広げられることを期待しています。

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上 昌広(かみ・まさひろ)
東京大学医科学研究所 探索医療ヒューマンネットワークシステム部門:客員准教授