近親相姦とアダムのことばと発祥の地アフリカ

ディエゴ・マラーニの小説「通訳」で扱われている精神病患者は、
「原初言語の妄想」を抱いている。

ウンベルト・エーコに「完全言語の探求」があり、
あらゆる言語の祖語としての「アダムのことば」がテーマになっている。

確かに、通訳をしていれば、言語相互の共通性に注意が行くだろう。

そして話はさらに「言語療法」につながり、
外国語を習得することによって精神療法をしようという話になる。

一方で、複数の言語を操れば、精神が不安定になるに決まっているとの意見も紹介している。

言語は、歯ブラシと同様、
各人が自分のものだけを口に入れるべきであると
語る。

登場する治療者は、症状に応じて、外国語を処方する。
希少言語はショック療法として、
ドイツ語は鎮静剤として。

曜日ごとに七か国語を使い分ける人も登場する。

外国語を学ぶことは、精神にとって毒なのか、薬なのか。

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そんな話があって、アフリカの話題が最近あり、
改めて、人類の発祥の地の問題に触れると、
「アダムのことば」が当然あったはずだという話になるし、
そうなれば、近親相姦の話題にもなる。

多分、最初は近親相姦をそうとは認識していなかったのだろうと思う。
妊娠と出産の始まりとしてのセックスに関して、
因果関係として明確に認識したのはいつ頃なのだろう。

最近やっと、おばあちゃんが口移しで赤ん坊に食べものを与えると虫歯が感染すると判明したが、
そのことが将来、当然のタブーになるまで、かなりの時間がかかるだろう。

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同じ言葉を話す人間とセックスをして
子供が生まれるのは、かなり近親相姦的な事態なのだと思う。

また、男性にとって、自分の子孫を残せるということは、
かなり特権的な事態だったのだろうとも推定できる。

強い者が何を独占したいか、
権力が成立するとしてその実体は何かといえば、
ひとつは食料についての権利であり、
ひとつは生殖についての権利だっただろう。

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食料についての権利は、土地の権利と直結しているだろう。
権利を維持するのは権威と暴力である。
部族の由来の神話を語りながら人殺しをする。
人間であることは難しいことだ。

古い習俗に、処女の性教育に部族の長が当たるという場合がある。
すでに妊娠した状態で、婿が指定される。
遺伝子を管理し、婚姻を管理する、そのような権力が成立するだろうことは
この例からも容易に推定される。

現代では、あらゆる特権は金銭に還元される傾向があり、
身分がどうであっても、金を払えば、いろいろなサービスを特権的に享受できるという
ケースが多い。
そうなると妄想的な人間は預金額の確認だけでかなり満足したりする。

アメリカ人はカジュアルであること、特権的でない事、貴族ではないことを
無理に表現する癖があり、
わざわざノーネクタイで足を組んで、You know,,と砕けた感じで話し続ける。
彼らにすれば、EUの内部がかなり貴族的でエリート主義的であることが
気になっていることだろう。
EU貴族の内部で家系図を気にし始めて自慢を始める事態になったら
アメリカは本気で戦争をするかもしれないと思う。

身分も出自も関係ないという思想は
人類にとってはとても新しい思想である。
それはヨーロッパとの対決の構図である。

お金持ちになることが人生の目標というのも
とても特殊で、最近のことだ。
そもそも金持ちといっても、
食糧は腐るものだし、
子供は成長してそれぞれに生きる。
女は衰える。建物も朽ちる。
金銀があっても、交換しなければつまらない。
交換可能にするためには信用が必要で、
信用はつまり、支配層を壊すことではなく
支配層に組み入れられることである。

お金があればホテルに泊まれる現代では、
そんなことはない。
気楽になったが誰も信用できないともいえる。
信用が薄まって広がったとも言える。

発祥の地アフリカから遥か遠くまで来たものだ
わたしたちは科学を発達させた代わりに人間の本来の能力を忘れ続けてきたともいえるだろう
出生率が低下し人工妊娠技術が発展するなど
その方向のことだろう
自分の中に眠っている能力を発掘できないか考えてみてもいいように思う