笠原先生のお話

私の精神科開業医経験から

■はじめに
  笠原先生は、うつ病の治療について「笠原・木村分類」、「小精神療法」、「うつ病の心理症状の消えていく順序」と、様々な提唱をされてきました。また、大学教授を退官後、先生ご自身の構想を取り入れた診療所を開かれました。今回はその10年にわたる診療経験を中心にお話をうかがいました。

「精神科医院」のシステムがほしい

-先生は、「精神科病院」と並ぶ「精神科医院」のシステムが必要な時代がきたという発想から、1998年にご自身でも精神科医院を開業されました。その後10年が経ち、先生のクリニックの運営は順調でしょうか。

  私が精神科医院のシステムがほしいと思ったのは、1970年代にすでに内因性といわれた精神障害がおしなべて軽症化してくる傾向に気づいたからです。まずうつ病が、次いで統合失調症が軽症化した。そういう人たちは、大病院ではなく、身近でもっと簡単に診療が受けられるようになればいい。そこで、日本に明治以来ある内科開業医を真似た「精神科医院」のシステムを提唱しました。そう申した手前、私自身も教職を退いてから、開業医をやってみることにしました。
  私はクリニックの経営を信頼できるオーナーに任せ、自分は診療だけに専念できる体制を整えました。経営と診療の両方を一人でやるのは、私の力量では大変だと思ったからです。それで10年間やってみた結論としては、診察が好きで、そこへそんなに儲けなくてよい人なら、たとえ60歳からやっても大丈夫、と感じています。
  医院は、院内を明るい雰囲気にし、患者さんが来院しやすいように工夫を施してあります。診療は、保険診療を原則とし、すべて予約制で、女医1名を含めた4名の精神科医と2名の女性の心理カウンセラーで行っています。メンタルクリニックは一人でやるとオーバーワークになり満足な診療ができなくなるのではないでしょうか。
  患者さん一人にかける時間は、初診は重要なので30~40分、次の回からは平均5~15分としています。ただし、この中には家族面接の時間が入っていません。家族にも話をきくことはクリニックでは大変大切なのですが、保険医療では十分に行えないので、この点で何らかの支援の必要性を感じています。

診察室ではやはり「医師-患者の対人関係」が大切

-実際の診療における先生の考え方、方針をお聞かせください。

 治療は、うつ病でも統合失調症でも、第一に薬物療法、次に小精神療法、最後に家族面接と考えています。薬物療法は進歩し、今日、薬剤を使わないケースは少ないと思います。薬をうまく使うのも開業医の力量の一つです。副作用にも留意し、血液検査も 3~4ヵ月に一度は行います。
  ただ、薬物療法に注意が集中するあまり、「医師-患者の対人関係」に配慮するのを忘れては精神科医の名がすたれます。電子カルテも結構ですが、患者さんの顔も見ずに薬を処方するのは、精神科医としてはどうでしょうか。私は、新しい患者さんの場合には、患者さんが納得してから、薬を処方するようにしています。また、治療にどのくらいの期間がかかるかを患者さんにあらかじめ伝えることも大切です。治療が長引く患者さんも少なからずいます。しかし、早くなおすことより、なかなかよくならない人を引き受けて、「長く診る」のがクリニックの使命です。(図1参照)



-先生は、診察室に入ってくる患者さんを ドアのところまで行ってお迎えになるということですが。

  精神科医には私のようにしている人がたくさんいると思いますよ。診察室に患者さんが入ってくる時は、それは人と人との「出会いの大切な一瞬」です。ドアを開けて招じ入れるときに多くの情報を得られるはずです。そして私のほうから先に挨拶をします。「精神科という看板のあるところへ来にくかったであろうに、よくいらした」、診察が終わったら、「また来てください」という思いを込めて、再び挨拶で送り出します。このような、簡単で常識的な配慮だけでも、ともすれば患者を見下ろしがちになる医師の優越的スタンスが匡されるのではないでしょうか。

-先生はまた、室内に患者さんが入って来られる際の様子を非常によく観察なさるそうですね。

  初対面の印象を大切にするという古風な診断学は、外来治療で再評価されるべきではないでしょうか。なぜなら、限られた時間で一挙にとらえるのに適しているからです。返事の仕方、歩き方、感情の動き方が一挙にわかります。 現在、米英の医学の影響下にあって、神経学的な認知機能のチェックリストによる研究が進んでおり、それ自体はよいことですが、精神医学ですから、それだけでなく、診察室での感情的印象というものをもっと大切にすべきです。例えば、患者さんとの一対一の診察で、患者さんに健康的な優雅さが次第次第に(多分、薬物療法によって)出てくるのを直感的に診断する。私は昔習った言葉で”grazie”といっています。いちいち認知機能を計っていては診察室では間に合わない。 直感の練習をする。チェックリストや電子カルテだけに頼るのではなく、人間観察の技を磨く 。

-カルテには、患者さんから受けた印象などをそのまま記述して、サマリーをつけておくというお話ですが。  そんなに詳しい記録でなくていいのです。次回の面接につながる、外的出来事の一つ二つを常識的範囲で記録しておく。例えば、この患者さんは「来週少々無理をして法事のため九州へ旅行する予定だ」 と記録しておくと、次回の診察に先立ってそれを読めば、どのような患者さんだったかすぐ思い出します。患者さんも、覚えていてくれたということで、医師への親しみを増します。こうしておけば、数百人の患者さんの中からでも個人を憶い出せます。

開業医レベルでは常識的小精神療法がよい

-小精神療法という言葉を先生が作られた際のお考えをお話しいただけますか。

  フロイトの時代、精神分析というのはそもそも週に3回も4回も面接に来られる、生活的に優雅な人たちのものでした。今日の日本ではそういう人はいません。しかも、保険診療では長い時間をかけて診察するというのは無理です。精神分析のような大精神療法は研究的に大病院で行うか、自費の心理カウンセラーで行います。クリニックでは、通常は小精神療法で十分です。少しの時間で、そのかわりに頻繁に、場合によっては週に2回来院していただいてもよいのです。
  ただ、小精神療法を行うには、精神科医として、病人についての心理的知識が必要です。例えば、うつ病なら朝は調子が悪くて、夕方になると楽になるとか、普通の人が楽しめることを楽しめないとか、あるいは、健康人には容易にとれる心理的休息が病人になるとなかなかむずかしい、などといったことを知っていなければいけません。
  小精神療法とは、こうした精神病理学の知識を基にした意識的治療です。精神分析などさまざまな専門知識をもっている方が良いけれども、そのまま直には使わず、常識の篩にかけて常識的言葉で語るのです。治療の核として「常識」を大事にします。

-よく「ダムの水」という比喩を言われますが、これはどういうことですか。

 脳科学の知見や薬物の脳内作用機序はある程度知っていなければいけませんが、その前に、診察室での印象をもとにして、その人の「社会力」とか「家庭力」を測ることが大切です。私は、「心理的疲労」という直感的概念を愛用しています。患者さんに図2参照)を見せて、「あなたは少し疲れていて、ダムの水でいうとちょっと水位が落ちています」、そういったイメージを共有するように努めています。

  

 図2 Bは、休息療法によって心的エネルギー水準(ダムの水位)が上がると、それまではどうしようもないことに思えていた心的葛藤(水底の岩)が水面下に隠れ、それほど厄介なものとは思えなくなることを示したものです。必ずしも岩をダイナマイトで破壊しないと治癒しないのではないのです。これは一例ですが、患者さんにいかに上手に心理的休息を取らせるか、これが小精神療法を成功させる前提になります。 
  それから、マイナスのみならず、プラスを計るチェックリストがあればいいですね。「喜びの回復」を計るために、例えば、「朝刊が読めるようになった」、「台所に立つことができた」、などという項目も入れたらどうでしょうか。また、チェックリストだけにとどまらず、症状の背景に、その人の生活や人柄・性格を少しでも知ろうとする努力も不可欠です。認知療法もいいのですが、もう少し患者さんの生活全体を含めた眼が診療室ではほしいですね。

うつ病の心理症状の経過予測の試み
-軽症うつ病が薬物療法下で改善する時には一定の傾向が見られる(図3参照)、という先生の説についてお話ください。

 私は長い間うつ病の患者さんを診ているうちに、患者さんの心理症状が段階的に消えていくと思うようになりました。図3はその一応の予測経過を階段状に表したもので、しっかりした統計的データではありませんが、私の直感で計って、「あなたはだいたいこの辺でしょう」、「この階段はなかなか通りにくいので2~3ヵ月は我慢しなさい」、というふうに患者さんに説明するために使っています。薬剤を使うときにはエビデンスが必要ですが、常識的な治療は直感的なものでも十分役に立つと私は思います。

なぜか時代の流れでうつ病も変化する

-最近、うつ病の軽症化に伴い、不安とうつが混じったような患者さんを診ることが増えたという精神科医の声がよく聞かれます。

  昔から「焦燥型うつ病」といって初老期におこる特に激しい不安を伴ううつ病が知られていて、今でも一定数あります。しかし、確かにこのごろはもっと若い年齢でも不安主導のうつ病があります。たとえば、上の図でいうと下から2つ目の「不安」の段階で止まってしまい、ここをなかなか越えられない患者さんです。 一方で、「不安」、「ゆううつ」の段階は越えたが、「手がつかない」、「根気がない」という「おっくう感」の時期が長く続くケースも、これまた多く見られます。このような患者さんに対しては3~4年を覚悟して診ます。そしてある時期から社会復帰活動を始めるための練習を少しずつするよう勧めます。
  どちらのタイプも「神経症化した」と言いたくなるのですが、経験によれば5年もすれば大体よくなっていくように思います。

-時代の流れに伴い、精神疾患も変わってきていますか。  非定型にも目を留める必要があります。これは女性に多い。貝谷先生が長く研究しておられます。私が今注目しているのは、Akiskalのいう“soft bipolarity”です。病気になる前に循環気質だった人がうつ病になると、bipolar depressionになる可能性が大きい。難治性軽症うつ病のなかに「かくれ双極性」が潜んでいることもよくあります。双極性の素質をもっている人には、対応した薬剤の処方を考える必要があります。Rapid cyclerなども多く、どういうわけかこのタイプは今後増えていきそうですね。

薬物療法の進歩と、今後の課題としての外来精神科医療

-先生が精神科医になられてから今日まで、精神疾患の治療で一番変わったと思われることは何ですか。

  予想した以上に患者さんが治るようになったことでしょうか。いくつか理由があるが、薬剤の進歩をあげないわけにはいきません。脳研究の進歩と連動して、社会脳(social brain)説なども出てきました。薬が奏効すると、診察室での患者さんの社会力が向上する。先にあげた“grazie”などもその一つです。
  それから、精神科医が増えたということも治癒率の向上に関係するでしょう。近年の調査では精神科の開業医も今は3千軒くらいだそうですが、私の試算では3万軒くらい確保できれば、国民のメンタルヘルスは維持でき、今話題の自殺を減らせるのではないでしょうか。患者さんの家族の相談にもわれわれの手が回るようになります。

将来の精神科医のために

-先生はこれまで、それぞれの勤務地で新しいテーマを見つけて研究されたとうかがっていますが。

  大したことではないのです。元来は統合失調症の心理学がライフワークなのですが、それだけでは狭すぎるので、大学生を診る保健センターにいた時には“Student Apathy”(1979年)をテーマにしました。教授職になってからは病棟患者の受持ちになれないので、外来でのうつ病の整理をしました。笠原・木村分類はその一つです。その5年後の1980年にDSM-III、1993年にICD-10が出て世界的に汎用されるようになり、その影にかくれてしまいましたが、やはり文化が違うわけですから、日本には日本の分類があってもよいのではないでしょうか。退官後の今は、日本の保険制度下でいかによい外来医療をやるか、いってみれば「開業医の精神医学」をやっています。 

-先生の今後のテーマは、引き続き、地域レベルでの医療でしょうか。

  現在、外来診療に見合う一定のマイルドな精神科患者層が日本にできた、と言えると思います。そして診察好きで職人気質の医者なら、保険診療でも開業がなんとか成り立ちます。人生90年の時代です。若い間には公の仕事をし、60歳から開業医になり、地域のメンタルヘルスの向上に尽くしてくださる。そういう先生が今後増えていくことを願っています。

-本日はお忙しいところ、貴重なお話をありがとうございました。<参考文献>

笠原 嘉、木村 敏 : うつ状態の臨床的分類に関する研究 精神神経学雑誌 77、715-735、1975
笠原 嘉 : 精神科「医院」 精神科医のノート みすず書房、 1976、 174-188
笠原 嘉 : 青年期―精神病理学から―中公新書、1979
DSM-IVによる“Atypical depression”の基準: 1.Mood reactivity (mood brightens in response to actual or potential positive events);2.Significant weight gain or increase in appetite;
3.Hypersomnia;4.Leaden paralysis;5.Long-standing pattern of interpersonal rejection sensitivity
広瀬徹也 : 「逃避型抑うつ」再考、広瀬・内海編「うつ病論の現在」 星和書店、2005 61-62
Akiskal H S, Benazzi F: Atypical depression: a variant of bipolar II or a bridge between unipolar and bipolar II? ; J Affect Disord 84, 209-217, 2005
貝谷久宣 : 気まぐれ「うつ」病―誤解される非定型うつ病―ちくま新書、2007
笠原 嘉 : 精神科における予診・初診・初期治療 星和書店、2007