現実を推理する力

現実を推理するとき
物理的世界と
人間と
大きく二つに分けられる

物理世界の推理は、たとえば、
この石ころをどの程度の力で投げたら、
あの柿の実まで届くだろうかとか、そんなこと。
物理学とか生物学になるはずで、それが世界モデルの役割だ。

人間の心理と行動に関しての推理は、
客観的観察をより合わせても、足りないし、遅い。
まず自分の心の動きをモニターして、それを他人にも応用する。
こんなときわたしだったらこうだな、と思う、その推定が第一になる。

石ころの動きや植物に関する予測は、
あまりに「擬人化」していてはうまくいかないので、
ほどほどにするだろう。

人間の心理に関するレパートリーは
各個人でそれほど多くなくて、
男性なら父と兄、
女性なら祖母、母、自分など、
その程度のパターンが多い。
そういった意味でも、家族関係が基礎になる。

ときどき、素朴な人が、「父はそうじゃない」と、男性ならば父と同じはずだと
言い始めることがある。
あまりに素朴というもので、今では懐かしい。

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ここで病者の心の推定問題がある
治療者の心の動きをそのまま延長しして患者さんの心を推定すると
往々にして間違う

だから
いったん推測はゼロにして
刺激と反応を収集してモデルを新しく作らないといけない

経験を積むと患者さんの心についてのモデルが出来上がる