モンスターペアレント クレイマー 囚人のジレンマ  対他配慮・協調性

モンスターペアレントとか クレイマーとか
自分の主張を通すために 「北風」になってしまうのだが
結局いやがられて嫌われて
たらいまわしにされることが多い。
適応戦略として高等ではない。


むしろ、太陽になることが正解で、
それは対他配慮・協調性なのだ。
集団の中で最大限の配慮をしてもらえるのが、
対他配慮のできる人間で、協調的な人間である。

持ちつ持たれつだから、
人の面倒を見るはめにもなる。

しかしそれも喜びなのであって、
自分が偉くなれば、
面倒見もよくできるというものだ。

先輩もそのようにして、
若い頃はかわいがられ、
年をとってからは若い人をかわいがってきた。
そのようにして対他配慮の循環は続く。

それが現在のように荒廃しつつあるのは
社会の経済システムが信用できなくなっていることと関係していると思う。

飛躍しているようだが、
順番を待つことができず、
いい子にしていればそのうちにいいことがあると
信じることができなくなっている。

そのことを品格が失われたといってもいいし、
長期的な利益を考えられなくなったと言ってもいい。

つまりは対他配慮と協調性の問題に
つながるのではないかと思う。

利他主義は、他人を根本的に信用していないと成り立たない。
鳩の中に鷹が一匹いれば、おしまいだ。

対他配慮ができない、協調性がない、利他的になれない、長期の利益を考えられない、
目先の利益にとらわれる、待つことができない。
このあたりが数珠つながりになっているような気がする。

自分の子供のためにいい教育環境を整えたいと思うのは誰でも同じだろう。
しかしそのことを急いでしまうと、長期的には学校の先生を萎縮させたり、
やる気を奪ってしまったりという結果になる。

たとえばホテルなんかでも、
いいサービスを受けたかったら、
それなりの振る舞いをしなくてはいけない。
かなり単純でかなり自明なこと

これは言葉で教えるものではないし頭がいいから分かるというものでもないし
頭が悪いから分からないというものでもない
むしろ弱者がエレガントだったりする

その弱者に対して
エレガントに振舞った人がいて、
その人はそうされてうれしかったから
その振る舞いを脳が記憶しているのだろう

どうしてその記憶が失われつつあるのか
よく考えたい

道路も下水も社会的インフラだが
対他配慮はもっと大切な社会インフラで
それがあれば社会福祉もうまく回って
悪用されるようなこともないはずなのだ

現状で東京の人は電車を並んで待っている
そのうち並ばない人も増えるだろう

携帯電話は
結局、その場への配慮を少なくしているような気がする
テレビを個人で見ることで
ものごとに対する他人の反応を見る機会が減っているような気がする

小学校で学級崩壊などが言われたのは
少し前のことだが
その人たちがうつ病になると昔のうつ病ではない

明らかに違う
対他配慮が欠落していて
対他配慮が長期的にはもっとも生存可能性を高めてくれる戦略だという知恵が失われている

ゲーム理論でいう囚人のジレンマ に似た状況になっているのではないかと思う。

*****
ゲーム理論でいう囚人のジレンマ の紹介

二人は盗難の罪で留置された。
主たる罪状の決定的証拠をつかめないまま当局は二人を、軽い罪で3年の刑とすることにしたのだが、さらに囚人たちに対して悪魔的な取り引きを持ち掛けた。
「もし相棒の罪を証言すれば、相棒は5年の刑とするかわりに、お前は無罪放免にしてやる」
いい話ではないか。が、世の中そんなに甘くはない。
「ただし、もし二人とも証言した場合には二人そろって4年の刑に処する」
損得勘定を表にしてみる

私\相棒 沈黙(協調) 証言(裏切)
沈黙(協調) (私:3年、相:3年) (私:5年、相:0年(無罪))
証言(裏切) (私:0年(無罪)、相:5年) (私:4年、相:4年)

二人は別々に独房に入れられていて相談することは許されない。

「私が証言して、相棒が沈黙したとすると私は5年間牢屋にはいるかわりに相棒は無罪放免される」
「相棒が証言したらどうだろう。もし私が黙っていると5年の刑、これはひどい。私も証言すれば4年ですむ」
ということは、相手の行動にかかわらず、自分は証言したほうが(裏切ったほうが)いいいうことになる。
 さて、同じ条件を与えられている相棒もきっと同じことを考えるだろう。その結果は上の図の右下「4年の刑」である。
 そうほうじっと黙っていれば3年で済んだものが頭をひねったあげくに4年になってしまったのはどうしてだろう?
 上の図にしたがって正しく行動したはずなのに。
 それでは、やはり沈黙していたほうがよいのか?
 相手もそうしてくれればよいが、もし相棒が裏切って証言すれば、自分は最悪の5年の刑である。そんなことできるのか?事前に相談できるきるのであれは「おたがいに黙っていような」と取り決めておいてふたりとも3年ですませることもできるのだが。(まあ、相談したあげくの裏切りというのもあるが)

と、こんな具合に「あらゆる条件において最良の結果になる」ように行動したはずなのに結果はどうもうまくない、というところが「ジレンマ」というゆえんである。