統合失調症の場合、
症状を手っ取り早く伝えるとき、
たとえば、救急車の隊員に、
「幻覚妄想状態で興奮しています。措置入院が必要です。」
といえば、よく分かってもらえるだろう。
しかし、私の考えでは、
幻覚と妄想はかなり距離の遠い関係で、
それを一緒にして語るのはとても不都合であるような気がする。
幻覚妄想状態という熟語は不適切である。
時間遅延逆転状態および世界モデル齟齬状態とでもいえば正しい。
一般に、幻聴といえば、誰にも聞こえていないものが、その人にだけ聞こえているのである。
妄想といえば、誰もそうは思わない事を、その人だけがそう思っているのである。
どちらも、訂正不可能である。
だから、「ありもしない事を確信していて、訂正できない」事態が、
聴覚で起これば、幻聴で、
思考で起これば、妄想と言っていいように、
一見思える。共通性はあるように思える。
また、陽性症状と言うくくり方があり、
このことも事態を分かりにくくさせていると思う。
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わたしのモデルでは、smapg-time -delay-model ver.2008
にあるように、
幻覚、たとえば、幻聴は、11.と12.の出力が到着するタイミングのズレによって起こる。させられ体験などと同じ部類に入る。治療はタイミングをずらすこと。
一方、妄想は、本来、世界モデルのズレなのであって、パーソナリティ障害などと同じ部類に入る。治療は世界モデルを訂正すること。
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幻聴と一言でいうものの、いろいろな幻聴がある。
そのことは、聴覚経路を考えてみれば分かることだ。
鼓膜→聴神経→聴覚野→さらに高次の処理 といった経路の、
どこかで、誤入力が起こればいいわけだ。
それはてんかん発作のような入力でもいいし、
近くを走る血管からの影響でもいい。
聴神経に腫瘍が出来ても、起こる。
しかしそんなのは珍しい例で、
末梢で発生するノイズは、
やはりノイズとして認識されるようだ。
幻聴の多くは
高次処理の場面で起こる。
さらにその中にいくつかのタイプがあるようだ。
フィルター障害といわれているものは、
たとえば、エアコンの音に交じって人の声がするとか、
シャワーの音に混じって電話の音がするとか、
そんなもの。
それはノイズに混じってはいるが、ノイズとは認識されない。
ノイズに混じった重要な音と認識される。
ここがおもしろいところである。
それが重要なのは、重要なものが埋まっているのではなくて、
自分にとって重要な情報を投影しているのだから、
重要に決まっているのだ。
自分が投影しているとは思わないところに、
かすかな時間遅延を読み取ることが出来る。
自生体験に近いもので、一種のさせられ体験ともいえる。
時間遅延型の幻聴は、本来自分の考えたことが、
外来の声のように聞こえるという形をとる。
すると、自分しか知らない事をなぜか知っている、ということになる。
あるいは、幻聴が聞こえているという「妄想」である場合もある。
そんな細かい違いを議論してもあまり実りはないのだが、
一応違いを考えることは出来る。
あるいは、言語習慣が不正確で、正確な表現の習慣がない人は、
自生思考を幻聴と言っている場合もあると思う。
そのほかにもあるかもしれない。
そんな中で、私が中核と考えるのは、時間遅延型の幻聴である。
これはさせられ体験と自生思考を両極端とする体験構造で、
その中間のどこかに位置する。
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妄想というものも、一言で定義できるものではない。
たとえば、常に他人に見張られているという感覚を持つ人の場合、
つまり、被注察感というが、
その場合、どうして自分は24時間誰かに見られているのだろうと
説明を付けたがる。
説明を考えているうちに、見張っているのはCIAで、
自分は国連事務総長であるなどと結論を出す。
その結論だけを聞くと、「自分は国連事務総長である」と語りつつ、
子供たちにつれられて精神病院に来ているのであり、
現状で「表向きの」身分は、小さな会社のサラリーマンである。
典型的な妄想になる。
しかし辿って行けば、被注察感が根っこにあるのだ。
被注察感の由来も時間遅延モデルで説明できそうである。
したがって「国連事務総長妄想」は二次的妄想というべきである。
このようなタイプの妄想がひとつ。つまり、不思議な現象につじつまをあわせて納得するためのもの。
これはこじつけと言うべきものであって、本来、妄想と言うべきではない。
次にたとえば、妄想着想といわれるもの。
これは黒い猫が通って、「黒い猫が通った」という事実にはまったく認知の問題はないのに、
その意味付けがずれていて、「それは世界の破滅の始まりだ」というような考え。
これをその人は、「黒い猫が横切ったから、世界の破滅が始まる」などと言う。
これは多分、「黒い猫が横切る」と「世界の破滅が始まる」の間には
関連はないのだろうと考えられる。
「とにかく、世界の破滅が始まったのだ」という結論だけが提示されていて、
そのことはもう動かしようがなく説得しようもない。
これは思考プロセスの障害というものでもない。
思考プロセスの障害ならば、ひとつひとつ分解して、どこがずれているか、間違っているか、
指摘し、訂正できるはずだからである。
プロセスを辿るタイプの思考ではないのだ。
むしろ結論が一挙に与えられる。
こうした事情はまさに世界モデルの存在を考えさせる。
そしてその世界モデルがズレているから、
否応なしに一挙に間違いのままで確定されてしまうのだろうと思う。
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治療として、時間遅延モデルに由来する二次妄想ならば、
時間遅延を治療すればいいはずで、ロナセンなどのSDAで良いだろう。
妄想着想のタイプならば、
まず世界モデルの訂正が必要なはずで、
それは生活訓練が必要である。
生活の中で、外界現実と内部世界モデルを比較照合し、差があれば、訂正する。
そのような地道なプロセスが必要である。
どうしても訂正できないというのがよくあるケースなのだが、
訂正し易いように、薬剤を使い、場面設定をし、くり返し、一種の行動療法的に反復する。
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幻聴に対しての治療は、それが時間遅延モデルで説明できるタイプならばやはり薬剤である。
そして患者教育をして、病理のメカニズムを理解していただく。
フィルター障害タイプの幻聴に対しても、多分、薬剤が有効。
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このあたりの細かい事情について、
主観的体験としてはどうかを詳細に聞きたいのであるが、
明細化することは、体系化、いいわけ化、結晶化、固定化、などを推進することになる可能性があり、
ためらわれるところでもある。
細かく聞かなければ、そこまで細かく固く考えなかったものを、明細化したから、
いよいよ固い妄想になってしまったということも、ないではない。
だから、薬剤や環境などの設定をしっかりして、慎重に聞く、そんな態度が必要ではないかと思う。
やっぱり幻聴だったよ
といって発見を喜ぶのもいいが、
未分化な体験を幻聴に分化させてしまったのではないかとの危惧も
持つべきではないか、
そのように昔から言われている。
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人の声が聞こえる幻聴はかなり典型的としても、
耳鳴、頭鳴り、などの表現になると、かなり様々である。
よく話を聞くと、頭の中で円盤があって、回転している、そんなめまいだという。
それのどこがめまいなのか、今度はこちらが想像力を動員する。
頭の中でガチーンという金属音がするというような例も少なくない。
現代芸術のビデオのような具合であるが、
ことばで伝えるのはなかなか難しいらしい。
これらは幻覚妄想ではなく、めまいとか耳なりとか自分たちでは言っているようだ。
物理的に他の誰にも聞こえない音が聞こえているのだから、
簡単に言えば、録音して再生できない音が聞こえているのだから、
一種の幻聴に違いないが、耳鳴ということが多い。
やはり他人の声が意味のある事をいうのが幻聴というイメージのようだ。
金属音というのは、どういう音なのだろう。
「金属」音という表現が多いのはどうしてなのだろう。
金属というものがなかった昔はなんと言ったものだろう。
金属音は自然にある音ではないだろうから、
ある日突然体験した、これまでにない状態を表現するにはちょうどいいのかもしれない。
銅鐸の謎があれこれ言われる。
先日新聞で読んだ。
人間はずっと不可解な音に悩まされていて、
銅鐸が出現したとき、「ああこの音だ」と思ったのではないか。
それゆえ神秘的な力があると信じられたのではないか。
そのようにして呪術の道具になっていったのではないか。