朝日新聞の書評で精神医学関係の記事を二本読んだ。
どちらも記事の存在価値がよく分からない。
記事をきっかけとして本を読もうとする人はまずいないだろうという書き方であり、
しかし、公の場での記事である以上、あからさまな
無価値との断定ではない。
精神医学は各方面に関係があって、
ざっと考えると、
医学、
心理学、
哲学、
ジャーナリズム。
医学は身体医学のことであり、
精神医学は脳科学に翻訳されつつある。
しかし翻訳不可能だろうとの思いは当然あり、
脳科学の極限に、
精神医学の独自の、特権的な地位が待っているような気がする。
心理学はいつの時代にも
身体医学と、精神医学を土俵にして綱引きをしてきた。
ドイツ精神医学と精神分析学と脳神経回路と神経伝達物質と精神薬理学。
最近は心理学は押されっぱなしだが、
認知行動療法という堡塁を築き、立てこもりつつある。
哲学にはラカンとその弟子以降、あまりショックを与えていないように思う。
むしろ、脳科学者の用語を哲学が採用しつつあるのではないかと思う。
ジャーナリズムに関しては、やはり一般の人が新聞や図書館で触れるのが
ジャーナリズムの文章であり、
そこでまず疾患についての理解や誤解や先入観が構成されるのだろうから、
重要である。
精神疾患についての教育を中学生くらいで一度きちんとしておけば、
あとあとずいぶん理解が違うように思う。
治療の最先端とアカデミズムの最先端にはやはり方向の違いがあり、
それぞれを伝えるジャーナリズムのことばにも方向の違いがあるようだ。
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医学、心理学、哲学がどうであっても、患者さんにはあまり関係がないかもしれない。
しかしジャーナリズムが精神医学にどう反応しているかに関しては、
患者さんの病像にも治療にも大いに影響すると思う。
すごく好きという人でない限りは、
反感を持っていたり、問題だと感じている人の方が、
文章を書くものだと思う。
それを読む人たちは、当然、精神医学に潜在的な反感を持つのだと思う。
最初にフロイトやユングを読んだ人はまた別の先入観を持っていると思う。
一種の親しみを持ってくれるのではないか。
それくらいフロイトは強力であるといまも思う。
映画や小説で登場する精神病や精神医療、思想としての精神医学。
そして身近で体験する、一時的な精神病やアルコール症、老年期認知症。
その体験から来る、無力感。
医学の場合に、最終的には全員死ぬのであるから、敗北主義の下地は強く存在する。
ある場合には逆に全能感の幻想。