ジャーナリズムの忘れ易さを防止するために、
こうしたらどうだろう。
テレビはもう仕方がない。
日々起こることを伝えて、
たとえば洞爺湖ホテルの絵を流し続ければいいのだろう。
テレビ独自の説得力があり、
NHK特集で国民は多くものもを学ぶはずであるが、
それもまあ、どのような基準でテーマが選ばれるのか、不明である。
新聞については、こうしたらどうだろう。
ある案件について、重要度、どうなったら追跡完了なのか、追跡期間、報告実績と一覧表にしておく、
通知表のようなものだ。
それまでの一覧表があり、新しい事件が起これば、そこに付け加わり、
紙面が限られているので、相対的に割り振られる紙面は少なくなる。
紙面の割合を、この一覧表で確定しまおうというものだ。
だから、発生の時点で重要事件であっても、その後進展がなく、
なんとなく大事なことなのに、報道がなくなってしまう例がたくさんあるが、
それを防ぐことが出来る。
過去に重要であった事件は、紙面が割り振られ、何も書くことがなければ、
現時点での要約をして、埋めておくことになる。それでも充分にいいことだ。
感心は持っていること。進展がなければないと明確に伝えること。
今取り組まなければならない課題はなんであり、
にもかかわらず日々の報道を占有しているのはなんであるか、
分かるようになる。
スピード社の水着の枠はどれくらいで、
東海大地震の問題の枠はどれくらいなのか、
タクシー不正の枠、
建築偽装の枠、
防衛省スキャンダルの枠、
裁判制度の改正、
弁護士の人数、
官僚人事の問題、
日銀総裁でもめていた問題。
それぞれの重みが分かるようになる。
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それにしても、どの問題についても、
特段の解決なく先送りし、
次のニュースが到着してしまう、
この状況はどうだろう。
チベットもギョーザもガレキの下になり
というのを見かけた