私は、私のためにできることをする
「人からの支援など受けない」。かたくなに踏ん張っていても苦しいだけ。必要だと感じたら、自分の意思で求めてみましょう
2007年04月04日 12時03分 更新
ビジネスパーソンが常に向き合わなくてはいけない“ストレス”。
自立を望むSさんの苦痛
誰からの力も借りずに自分の仕事をこなしていくこと。それが大人としての生き方、社会人としての姿勢。Sさんは、両親からそう教わってきました。それができていないと感じると、「自分は社会人として失格なのではないか」と思い、とても不安になるのです。そして何かしなければ、成果を挙げなければと追い立てられるような気持ちになってしまいます。
仕事で上司から「この結果はどのようなプロセスで導き出されたのか」と質問されるだけで、Sさんは「何か間違いを犯してしまったのでは」と不安になり、説明するどころか頭が真っ白になってしまいます。思考がフリーズしてしまうのです。そうなると、上司と会話すること自体が苦痛になってしまいます。
上司への報告を避けるようになり、ますますコミュニケーションが滞るため、誤解が生じ、状況を分かってもらえなくなります。そのうちこう思い始めるのです。「私がこんなに苦しんでいるのに、なぜ分かってくれないんだ。上司なんだから、部下に配慮するのは当たり前じゃないか。これだけ世の中で、管理職は部下のメンタルヘルスに配慮することが必要といわれているのだから」
自立には「自分の力で独立すること。独り立ち」という意味があります。窮地に陥っても誰にも頼らず、自分の力で解決し乗り越えることを、Sさんは自分に課しています。それこそが自立だと考えていたSさんは、自立を目指せば目指すほど、自分に「できていない自分」のレッテルを貼ることになっていました。
でも本当は、「できない自分」なんて認めたくない。「できない」というレッテルは上司に貼ってしまえ。そんな考えから、「部下のメンタルに配慮できない上司が悪い」と思うことでSさんは落ち着くことができたのです。でもそれが、本当の安定でしょうか。
2つの「ジリツ」
ここでもう1つのジリツについて考えてみたいと思います。それは「自律」です。
自律している人というのは、自分自身を自分で支配し、自分の運命を自分で決定し、自分の感情や、思考や、行動に責任を持ち、「今、ここ」に生きるのに意味のない、不適切な人生様式に固執しない人である。人は誰でもある程度の自立性を持つ能力を有している。しかし自立性は、その人の誕生と共に備わった権利であるにもかかわらず、これをきちんと達成する人は少ないのである。より自律することへのプロセスとして、気づき、自発性、親密さ(開放的になる)をより拡大してゆくことが大事になってくる。自律している人は「気づき」を大事にし、「自発的」であり「親密さ」を広めてゆく――より「開放的になる」――人であるということができる。
『カウンセリング辞典』(誠信書房刊)より引用
この文中の「『今、ここ』に生きるのに意味のない、不適切な人生様式」とは何でしょう?
手掛かりの1つとして、自律の反対の「依存」について考えてみようと思います。ここで取り上げたいのは「精神的依存」です。Xがないとどうもイライラして落ち着かない。不安になる。注意力が散漫になり、目の前で起きていることが「見えているけれど意識の中に入ってこない」状態になる。そんなXがありますか。自分の意思でコントロールができないようであれば、あなたはXに精神的に依存している可能性があります。
Sさんの「自律」と「依存」
Sさんの状況を考えてみましょう。
「『社会人たるもの、人に頼るべきではない』という教え(X)に依存していて、頼るか頼らないかを自分で決めることができない。人に頼らず自分ひとりで物事を達成している間は不安にならないが、人の援助を求める必要が生じたとき(Xを見失ったとき)、不安になり、イライラする」
ここで大切なことは、SさんはXを持ち続けてもよいし、Xを手放してもよい、それを自分で選ぶことができるということです。もしSさんがXを手放し、「社会人だって人からの支援を受けてもよい」と教えを書き換えたとしたら、どのようなサポートを受けることができるでしょうか。考えてみましょう。
Sさんが受けられる4つのサポート道具的サポート 自分にとってのストレッサーを直接軽減するもの。仕事を手伝ってもらう。直接自分にプレッシャーをかけているものや人を取り除いてもらう
情緒的サポート ストレッサーは減らないが、自分の感情を和ませるもの。何が起こっているのか、話をよく聞いてもらう。どのように感じているかを共有してもらう
評価的サポート 文字どおり褒めてもらう。自分の仕事の意義を評価してもらう
情報的サポート ストレスを取り除くヒントを与えてもらう。自分が直面している問題を解決するため、その問題に詳しい人を教えてもらう。解決のためのツールを教えてもらう。リラクゼーションや気分転換の方法などを教えてもらうことも含まれる
自分は自分のためにできることをする
他者からの援助を受けることが自分のために必要だと判断(自分の状況に気付いている)したなら、求めてみましょう(自発的、開放的行動)。いま、支援を受けずに頑張ることが自分の成長のために必要と判断(気付き)したなら、踏ん張ってみる(自発性)のもよいですね。
その判断で進んではみたけれど、このまま耐えることがちょっと難しいと感じ(気付き)たら、そのポイントで援助を求めればよいのでは?「変更したってかまわない。だって状況が変わったのだから」。そう思えば、初めの一歩を踏み出せる可能性が高まるのではないでしょうか。
逆に、自分が他者の力になることもできますね。相手を支援するかどうかを、あなたが決めることができます(自発性)。そんなつもりもないのに支援者にされてしまうのではなく、あなたの意思であなたができる範囲まで支援したら、あとは相手の問題と思ってみましょう。「これから先はあなたがやる範囲。私の責任範囲を超えています」というところまで、力になることができるのです。
そんなふうに誰かの力になることができれば、「一度支援したらずっと頼られてしまい、重荷になる」と不安に思って始めから手を差し伸べないなどということは起こらないのではないでしょうか。
あなたの「自律」であるように
あなたは、自分の「いまの状況」に気付き、必要な支援を他者や物や情報などに求めることができます。そして、あなたに求められた支援(例:「わが社の収益のために営業で数字を上げてくれ」「このプロジェクトを成功に導くためにマネジメント力をアップさせてくれ」)に応えることもできます。
どんな形であっても、それがあなたの「自律」であるかどうかを考えてみてください。あなたの「自律」であれば、集中力、判断力、技術力、調整力が必要であっても、それを行うあなたには「覚悟」があり、どこかに心地良いものを感じることができるでしょう。
私は私のことをする、あなたはあなたのことをする
私はあなたの期待に沿うためにこの世にいるのではない
あなたは私の期待に沿うためにこの世にいるのではない
あなたはあなた、私は私
それでもしお互いが出会うなら、すばらしい
もし出会えないなら、しかたない
I do my thing, and you do your thing.
I am not in this world to live up to your expectations.
And you are not in this world to live up to mine.
You are you and I am I.
And if by chance we find each other, it’s beautiful.
If not, it can’t be helped.
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こんな感じの情報が溢れているわけですが、
人によっては、自分の知識や感性に不足があるのではないかと
不安になってしまうと思います。
とらわれることはありません。
みんな大体同じようなことのくり返しです。