ホリスティック医学 自然治癒力

ホリスティック医学について
わたしには理論はないし言葉もないが
経験はあり日々の実践はある

それでいいのじゃないかと思っている
無理に言葉にして誤解されていても仕方がない

ひとりひとりのいのちが生きているということは
どういうとこなんだろうということについて
比喩的な話ならできそうだ

自然治癒力を引き出すというのも
いろいろなレベルでの理解ができる言葉だ
それぞれの人が自分の領域で納得しているらしい

一番分かり易いのは
免疫系の話で
ホリスティックな手法で
副作用もなく免疫力を高め
自分に自然に備わった治癒力を最高度に引き出しましょうという説明
平明で何の疑問もない

自然治癒力という言葉はそのように解釈すれば
何ら超越を含まない
しかししばしば超越を含むことがある

ホリスティックとスビリッチャルが直接に結びつかないのは
日本の風土で
アメリカでは即スビリッチャルで、ニューエイジ的になる。

祈りの意味、死とは何か、そのあたりには超越が潜んでいる
超越しなければ意味がないとも言える

あの世をあからさまに仮定するものでもないが
マイルドに、死後の「生命」をいろいろな形態で考えることはできる

情報理論的に言えば、
世界の情報の総体があり、
その中で一つのいのち、一つの脳が、無秩序状態になったとしても、
それは情報の自己生成の場が移動したというだけだということになる。

これでは味気ないので、スビリッチャルに、
死んでもなお生きる何かがある、個人の死は超えられる、悲しみだけがふさわしいのではないと
言いたくなる。

実際、生きている人間の脳は、他の脳と複雑なネットワークを形成していて、
自身が物質的に無構造に帰ったとしても、
ネットワークの中で影響力を発揮し続ける。
歳月がたっても形を変えて生き続ける。
「生きている」ということをそのように定義することも可能で、
広く言えば場の世界ということだ。

重力は場の歪みであるとかそんな話。

生命は場の結節点であるとも言える。

いのちといえば動物と共通な感覚があるし、
こころといえばやはり動物とは少し違うという感覚もある。
犬にはかなり明白に心があるけれど、
人間のこころと同じかと言えばそうでもなくて、
やはりスピリットの話になるとキリスト教的になる。

個々は、共存する全体の大きないのちの一部であり、
死後も宇宙の中に生きつづけるというイメージも根強い

わたしは個人的にはこう考える
いのちも脳も猫も犬も石ころも
存在があったということはその瞬間に電磁波を四方に放出している
人間に物が見えるのはその電磁波のせいである
その電磁波は微弱で、距離の2乗に反比例するので、つまり時間の2乗に反比例して急激に減衰するが、
消え去るはずはない。
何かに遮蔽されたとして、そこに影響して痕跡を残す。
結局、影響の総量は時間を通じて保存される。
だから、将来何かの事情で時間が反転したとしたら、
そして世界がDVDの逆回しみたいになるとしたら、
すべては再現されるはずなのだ。

そう考えると、今現在の宇宙を一挙に把握する方法があれば、
過去のすべてを再現できる道理になる。
宇宙はこれ自体が巨大な全情報の保存庫なのである。

こころも当然保存されている。

言葉が足りなくて
そして当然ある箇所は比喩になっていて
分かりにくいと思うが
そもそも人間の自然言語はこんなことをいうためのものではないので
語ることができなくて当然だと思う

大切なのは語ることではなくて
生きることで実践することだと思う

できることをやる