適切な比喩と必要十分な臨床的アドバイス。
熟達の至芸である。
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分子精神医学 vol.3 N0.4 2003
OCDの臨床
成田善弘
◆はじめに
従来、強迫性障害(OCD)は、生涯有病率が0.05%
と非常にまれな病気と考えられていたが、米国の
ECA studyにより生涯有病率は1.9~3%であると判
明した。統合失調症の生涯有病率が1%弱であることを
考え合わせると、これはきわめて高い生涯有病率と言え
る。
OCDに関する最近の話題としては、病前性格があげ
られる。従来はOCDの病前性格は強迫性格であると考
えられていたが、最近の実証的な研究からOCDの病前
性格は必ずしもOCPD、強迫性人格障害とは限らない
という報告がされている。もっとさまざまな人格障害が
病前性格にあり、依存的な性格などのC群人格障害が
多いのではないかという研究がある。
臨床におけるの病前性格論は、そのほとんどがレトロ
スペクティプな研究である。これは、OCDにより受診
した患者に、もともとどのような性格であったかという
ようなごとを聞いて、病前性格を推定している。本来は
プロスペクティブな研究をやらなければ、病前性格とい
うのはわかりにくい。現在はOCDの病前性格はOCPD
に限らず、必ずしもOCPDとOCDが連続的にとらえ
られるものではないという実証的な研究がいくつかみら
れる。
ヒステリー性格はヒステリーの病前性格とは限らず、
むしろ独立に存在するということは以前から言われてい
る。また、うつ病の病前性格に関しても、必ずしもメラ
ンコリー親和型性格ではないという議論があることか
ら、病前性格論が、現在、ひとつのトピックになってい
ると言える。
また、OCDの症状として、強迫観念、洗浄強迫、確
認強迫が非常に多いと思われていたが、近年、強迫性緩
慢が注目されている。これは、何をするにも非常に丁寧
に順序立てて一つ一つやるので、時間がかかるという症
状である。生物学的な基盤との関連が論じられており、
男性に多く、重症例もある。従来、このような概念につ
いてよく知られていなかったが、昔から、動作が緩慢で
あって、必ずしもそれが特定の強迫行為と強迫観念と結
びつかない患者がいた。
かつて、OCDはヒステリーと並んで、心因性疾患の
代表的なものであると言われていたが、近年では、生物
学的な基盤がむしろ主体であると考えられている。大脳
基底核の変化や、辺縁系の障害、前頭葉のような皮質の
変化、あるいはそういうものの相互作用の失調であると
いう研究が活発におこなわれている。とくに強迫症状が
著しいときには、尾状核の代謝が亢進、または血流量の
増加が見られる。ただし、これも強迫という症状が起
こっているときに生物学的に随伴している現象とも考え
られるので、明確に生物学的な原因であるとは言えない
が、生物学的な研究は非常に盛んで、今や、強迫性障害
は心因性疾患の代表とは考えられなくなっている。
OCDに関する有効な治療法として米国のエキスパー
トコンセンサスガイドラインにおいて薬物療法と認知行
動療法の2つがあげられている。精神分析や力動的精神
療法については言及されていない。世界的に見ると、薬
物療法と認知行動療法が治療の主流になっている。
◆OCDの精神療法
筆者がおこなっている精神分析的な考え方を基礎にお
いた診療では無意識というものや、患者の育ってきた歴
史を考えるということ、さらに治療者と患者とのあいだ
に生じた関係を考えることが基本となる。ただし、多く
の分析家が認めているように、古典的な精神分析の治療
法では、なかなかOCD患者は改善しない。たとえば、
ギャバードは、精神分析の有効性をOCPD、強迫性人
格障害に関しては評価しているが、OCDに関しては評
価していない。
実際、筆者は折衷的な治療をおこなっており、日常の
診療で初診を30分程度、再診を15分程度の時間をかけ
ている。
1)受診しない患者の心理
まず、OCDの患者は、受診したがらないというのが
ひとつの特徴である。最近の大きな疫学的調査以前で有
病率が低く見積もられていた理由の一つは、患者自身が
受診したがらないという要因が大きい。また、発病から
受診までの期間が大変長いことが特徴である、OCD患
者は狂気恐怖を持っていることが多く、自分がコント
ロールを失って、何をしでかすかわからないような人間
になるということを大変恐れている。精神科を受診する
ということは、自分の狂気を証明されることと感じ、受
診を拒否する。また、非常に自尊心が高くて、自分を高
く維持したいと思っている人が多く、医者にかかるとい
うことは、自分が弱者であり、劣った存在であるという
ことを認めることになるため非常に不本意であり、しか
も、人に頼るということを嫌がるのでなかなか医者にか
かろうとしない。
また、重症例の場合には、症状の自我違質性が乏しく
なっていることがある。OCD患者の特徴として、症状
が自我違質的で、それと闘う態度があると言われている
が、重症の場合は必ずしもそうではない。たとえば、不
潔恐怖の患者でも、自分がこんなにおかしい、変だから
治療して欲しいと思っている人ばかりではなく、「本来、
このようにきちんと洗うべきである、ちゃんと洗ってい
ないほかの人が間違っている」と考えるような人はなか
なか受診しない。
OCD患者は身体症状が少ないとされているが、強迫
症状が顕在化する以前に頭痛や肩こりなど、いくつかの
身体症状を出す場合がある。便秘などで、他科を受診す
る人もいる。
受診を拒否する人で、精神保健福祉センターや、カウ
ンセリング施設などの非医療機関なら行くという人もい
る。さまざまな事情で受診率が低下したり、発症から受
診までの経過が長いことがOCD患者の特徴である。そ
の背景にある心理をまず理解する必要がある。
2)家族への対応
初診時は患者の家族だけが来る場合もある。また、家
族が患者を連れて受診した際も、患者への対応に困って
受診する場合が多く、家族に対してどのように援助をす
るかが問題になる。家族に対し、筆者はまずOCDにつ
いて説明する。わがままとか性格の問題ではないこと、
決してまれな病気ではないことを説明する。また、すぐ
に症状をやめさせようと思っても無理だということを伝
える。
家族が一番心配していることは、これが精神病の始ま
り、あるいは精神病ではないかということである。精神
病にはめったに移行しないものであると説明し、患者お
よび家族がもっている狂気恐怖を和らげることが必要で
ある。また、患者や家族は病気の原因は何かということ
を知りたがる。脳の機能障害であるが、育ってきた歴
史、家族との関係、人生上の出来事、社会文化状況のよ
うなものが重なり合って発病するので、単一の原因は取
り出せない、したがって、原因追及はとりあえずは棚上
げにしておいた方がよいと説明する。治癒の可能性につ
いては、最近では治療成績が向上し、7割程度の人は十
分社会復帰ができると説明している。
子どもが病気になると、家族がそれに対して、とくに
母親が育て方が悪かったのではないかと悩むことが多
い。確かに家族との関係は大切で、まったく関係してい
ないわけではないが、しかし、母親の育て方一つで患者
をOCDにすることは不可能であると説明し、家族の罪
悪感を和らげる。また、子ども、あるいは配偶者がこん
なに苦しんでいるのに、自分が生活を楽しんでいいのか
という悩みに対して、長い目で見ると、家族が自分の時
間を持って、自分たちの生活をきちんとすることが大切
だということを伝える。
症状への対応の仕方は、家族にとって当面の課題であ
るため、わかる範囲で助言する。まず、症状を一笑に付
さない、OCD患者が、いろいろな医療機関を受診して
も1回でやめてしまうのは、患者としては非常に苦しい
症状を訴えても、一笑に付され、気の持ちよう一つで治
るものだなどと言われることが多いからである。
また、手洗いなどの症状を中止させようとしても、患
者がよけいに不安になるので、当面は介入しないように
言う。ただし、巻き込んでくるケースに関しては、初診
のときに、少なくとも現在以上に家族が患者の要求に従
わないよう指示する、たとえば、患者は不潔恐怖にし
ろ、確認にしろ、家族にいろいろ指示、命令をしている
ことが多い。あるいは、強迫行為中、家族はちゃんと
じっと一定の場所に立っていてくれないと困るとか、こ
こは、自分の地、きれいな場所だから、ここへはー切立
ち入るなとか、家族を巻き込んで、強迫行為の一部分を
家族におこなわせたりすることがある。
症状を介する以外のコミュニケーションについてはで
きるだけ増やしてもらうことが重要である。たとえば、
朝、おはようと声をかけたり、一緒に軽い運動をした
り、お父さんと息子がゴルフに行くなどができればとて
もよい。
初回に家族だけ来た場合には、以上のようなことを説
明し、是非、本人にも来てもらいたい旨を伝える。そう
すると、患者自身が次回からやってくることが多い。
3)患者が来院したとき
〈1〉よく来ましたね
OCDの患者は受診前に非常に逡巡する。受診すると
いうことが自尊心を傷つけるので、不本意ではあるが、
苦しいので仕方なく来院する。それに対して、よく来ま
したねという気持ちを持って接することが大切である。
はじめに、一定の時間をその患者のために確保してお
き、患者にも30分くらいお話を聞きますと最初に言っ
ておく。たとえそれが不十分な時間であっても、いつ診
療が終わるのかわからないという状況よりはずっと患者
を安心させる。そして、訴えた症状を笑い飛ばしたりせ
ず、大事なこととしてきちんと聞く。
〈2〉病歴を聞く
OCD患者は、重症例は混迷状態に近いようになって
いて話せなくなっているが、多くの患者は多弁である。
しかも、その話が枝葉にわたり、話が先に進まないの
で、治療者は積極的に介入する必要がある。
病歴はとくに発症前の状況に注意をして聞く。強迫が
発症するのは、発症以前に何らかの不安か高まっている
ことが多い。とくに、男性の患者の場合、他人との比較
や競争が問題になっていることが多く、たとえば、学校
での成績低下や不本意な学校への入学、受験勉強の不調
などが問題になっている。あるいは、非常に高い理想を
持っていて、自分のライフデザインが挫折するのではな
いかと不安に思うときに強迫が発症することが多い。女
性の場合、多くは異性との関係、結婚や出産が発症の前
駆になっていることが多い。男性は自分の同一性を巡る
不安で発症し、女性のほうは親密性を巡る不安で発症す
る傾向が強い、
〈3〉治療歴を聞く
今までどういう治療を受けてきたか、またその治療に
対して患者がどう思っているのかということを聞く。受
診しても、薬を処方されるだけで何も話が聞いてもらえ
ないことに不満を持っている患者は多い。
〈4〉患者自身の対処について聞く
医療以外に患者が自分の病気にどのように対処してき
たかということも聞く。OCD患者は、呪術的なことに
親和性をもっていることが多く、お祓いを受けに行った
り、霊能師のような人に見てもらったりしている。自分
で何とかしようと、患者なりの対処をしてきた場合、そ
のうち評価しうるものは、患者なりの対策と認めて、そ
の効果について患者に評価をしてもらって、多少ともプ
ラスのあるものは患者の努力として認めていく。
対処に焦点を当てて聞くということは、自分は対処す
ることのできる人間である、あるいは。自分でも対処す
べきであると患者に認識させることになる。患者が自ら
開発している対処方法のうちのいくつかは認知行動療法
の技法とよく似ていることもある。これも、多少ともプ
ラスのものは支持する。
〈5〉身体症状を聞く
便秘や肩こりを自覚していない人が多いので自分の身
体感覚に気が付いてもらう。姿勢が堅く、きちんとまっ
すぐに脇見もしないでいるという人が多いのでリラック
スを促す。運動をすることは、治療法としてもよく、と
くに水泳をすすめる。水の中に自分が入ると、自分と環
境の境界があいまいになりやすい。OCD患者は、自分
と自分でないものとの境目が自分の皮膚よりも何センチ
も外にある。そういう体の感覚のほうに目を向けて、も
らって、なるべく、体を動かす。運動しているときは、
頭で考えている暇がないのもよい。運動をすすめ、身体
感覚に目を向けてもらう。
〈6〉患者の確認保証要求に対して
本質的には事実解決にならないとしても、治療者は治
療初期は確認を与える係だと思って、ある程度の保証を
する。OCD患者は、なかなか人にゆだねられない。治
療者にゆだねることができれば、それは進歩である。あ
る程度、保証することは、治療初期には必要であろう。
〈7〉診断と見通しを告げる
診断と見通しに関しては、まず「これは強迫性障害と
いう病気です」と言って、先述のような説明をする。そ
れから、基本的には治る人が多いと説明する。ただし、
あなたが治るかどうかは、あなた自身の治療に対する努
力や、家族の協力、環境、私の能力や私との相性という
要素もあるので、試してみないとわからないが、一般的
には治る人が多いので治ると思って取りかかります、と
説明する。絶対に治ると保証すると、のちに支障が出る
ので絶対に治してあげますとは言わないが、治るだろう
と私が思っているということを、態度や雰囲気で相手に
伝える。その際、OCDについて、上島国利編「強迫性
障害は怖くない」という本をすすめている。
まず、症状に対して、いろいろな不安が起こってきた
ときに、すぐに対処せず、不安を不安なまま、筆者の言
葉で言うと「心の器の中に入れておく」ことを目標とす
る。いろいろな精神療法に共通しているが、行動療法で
は、OCDに対して有効とされている技法は、暴露反応
防止法である。あるいは、森田療法で言うところの恐怖
特有やあるがままというものも、不安を不安のままにし
ておくという、それを心の中に入れておくという点では
共通している。
筆者は、それを「青い空に白い雲」と呼んでいる。晴
れていると白い雲が浮かんでいて、それを指さして、た
とえ不安になっても、空に雲が浮かんでいるように不安
を心の中に浮かべて雲を消そうと思わず、全体として晴
れていればそれでいいからと言って、それを「青い空に
白い雲」というニックネームにして患者に教える。
〈8〉巻き込みへの対応
患者と、巻き込まれている対象者を同席で、次のよう
に説明する。患者が不安なときに、その不安を自分1人
では解消できないから、他者を引っ張り込んできて、2
人がかりで不安に対処している。いつも2人がかりで対
処していると、自分で自分の不安に対処できるように心
の器が大きくなってこない。だから、「なるべく1人で
対処するようにしましょう」と告げる。家族も最初は善
意で手伝うのだが、次第に手足、奴隷のごとく使われる
ので、腹を立てていることが多い。つい手伝ってしまう
と、それは病気の木に水をやっているようなものだか
ら、あるところで線を引いて、それ以上は手伝わないよ
う指示する。巻き込みが長期化している場合は、すぐに
は奏功しないが、巻き込みの初期に説明すると、起こっ
ていることを説明する一つのモデルとして役に立ち、患
者も家族もある程度それを守ってくれる。特に、家族が
手伝いを断る場合には、これは医師の指示に従っている
のだと患者に説明をするのがよい。
巻き込みが著しい例は、神経症水準よりも境界水準の
病理を持っていることが多く、巻き込んでいる対象に対
して暴力行為などの問題行動が発生しやすい場合が多い
ので、なるべく早くある程度の限界を設定するようなア
プローチをすることは必要である。
〈9〉患者に症状を評価させる
一番悪い時を0点とし、現在の症状を何点ぐらいか評
価をしてもらう。最近、自己評価のための自己記入式
Y-BOCSというものがあるが、日常の15分くらいの臨
床では時間がないので、患者自身に採点してもらう。
OCD患者は0点or100点と発想している場合が多く、
そこに中間的な尺度の概念が入ってくるだけでも、前進
である。60点と評価した場合、あと40点は必ずしも症
状ではなく、自分自身の性格や、人間関係の問題につい
て患者が言及することもあるので、漠然と病気の症状に
点数をつけてもらう。そして、80点くらいになったら、
それでよいということにする。
〈10〉言葉の煙幕
先述のようにOCD患者は、重症の場合は無口になる
が、多くの人は多弁である。しかし自分自身が現れるの
を妨げる方向にしゃべる。たとえば、学校で友達ができ
なくて淋しいという代わりに、現代の教育制度がよくな
いなど、一般論や観念論にわたりやすい。学校で教育制
度が悪いと言っているのを、なるべく、具体的に、友達
ができなくて淋しいのではないかというふうに誘導して
いく。患者と周りの人々の間で現実に何が起こり、患者
が何を感じているかを探る。
言葉の煙幕という言葉を造った、ハリー・スタック・
サリヴァンによると、強迫の人は、自分自身が救いよう
のない悪人であることが露見しないようにするため多弁
になるという。OCD患者と接していると意地悪をした
くなる。患者に[大丈夫ですか]と聞かれると、私は
[まあ、大丈夫です]と言っていた。そうすると、患者
が「先生、まあでは心配なので、絶対大丈夫ですか」と
何度も保証を求めるので、つい「絶対に大丈夫です」と
言ってしまった。精神科医たるもの絶対という言葉を安
易に使うべきではなく、患者の不安がどういう不安であ
るか聞かなければならない、と批判されたこともある
が、厳密には大丈夫とは言えないと正直に言えば患者は
苦しむし、だからといって、絶対に大丈夫というと不適
切になる。その後、方針替えして、まあ大丈夫とか、大
抵大丈夫とか、人間的な尺度では大丈夫だとか、あなた
が求めているのは神様の尺度で、それは神様病というも
ので、人間的尺度ではまあ大丈夫だと言うようにしてい
る。初期段階では保証することも必要である。
ただし、いつまでも外側から保証しているだけではな
く、いずれは患者自身がどう思うかを問い、大丈夫だと
思うのですがと答えれば、大丈夫と思うのがあなたの健
康な心の判断だから、その健康な心を信頼しなければい
けない、健康な心が大丈夫と言っているのだから大丈夫
だというふうに、患者の中に大丈夫と言ってくれる部分
を育成するようなつもりで大丈夫と言う。
〈11〉感情表出を促す
どう感じましたかと聞いてもどう考えたかを返答する
患者が多いが、どう感じたかを聞くことが重要である。
OCD患者は、感情を必要以上に抑え込んでいるので、
抑圧された感情がときどき爆発して。急に興奮して怒っ
たりする。そうすると、ますます、患者は感情表出を恐
れるので、感情を一つずつ聞いて、その感情がたとえ何
であろうが、人間的なものであると理解させる。
患者が感情を抑えつける理由は、心の中で思ったこと
と現実に起こってくることとの区別が付かないからであ
る。たとえば、父親とケンカをして、父親など死んでし
まえと思ったら、本当にその翌日に脳卒中で死んでし
まったとか、友人のことを憎らしいと思っていたら、本
当に交通事故に遭ってしまったという話を患者はしばし
ば語る。フロイトはそれを思考の全能と呼んでいるが、
そのために患者は憎しみや怒りを自覚することを怖れ、
抑制してしまう。心の中で思うには何を思っても自由だ
ということを患者に保証する必要がある。
OCD患者は完全主義的で、非常に自尊心が高い一方
で自信がない。いわば神様の基準で物事を考えているの
で、それにくらべると自信がないのである。裏を返す
と、非常に傲慢な理想像を持っていて、それに自分が合
致しないから自信がないと言っているに過ぎない。筆者
は、それを「神様病」と呼び、人間の尺度ではそれでよ
いのに、神様を基準に考えているから自信がないだけ
だ、と伝えるようにしている。
〈12〉逆転移
OCD患者の話はくどく、いつ終わるかわからず、何
度保証してもくり返し保証を要求されるので、次第に搾
取されているような気になり、非常にイライラしてく
る。この逆転移は日常診療で大変よく見られる。
少し昔は、OCDの患者には大変権威主義的な人が多
かった。うつ病患者は、社会的な常識、社会的な権威に
依存するが、OCD患者は個人の権威に依存する。つま
り、偉い先生にみてもらいたいため大学病院を受診する
ことが多い。患者権威主義が言葉の端々に現れるので、
治療者はそれに対して、平静な気持ちで対処しなければ
ならない。権威に対する自分の態度をよく点検しておか
ないと、患者に対して無用な反発が生じる可能性があ
る。
OCD患者を見ていると、強迫の殼が非常に堅いので、
何とかしてそのからを打ち壊したいという気が治療者に
起きる。強迫の殻の中に孤独がある。感情が枯渇して、
しかも周引こいるのは競争相手で、自分を隙あらばおと
しめようと思っている連中ぱかりであり、そこに囲まれ
て感情のない乾いた世界に患者はひとり立っている。外
側が堅くなっているが、中はぐしやぐしゃである(私は
それをサボテン構造と名付けた)。患者が荒涼とした世
界にサボテンのように立っていて、実は中はぐしゃぐ
しゃだということがわかってくると、外側から壊すので
はなく、内側から患者を包みたいというような気持ちに
なってくる。そのときに、ある種、一体感のようなもの
が患者との間に発生し、治療の転機になることがある。
◆薬物療法
薬物療法ではフルポキサミンを第一選択薬としてい
る。1日50mgから開始して300mgまで増量し効果を
判断することにしている。150mgないし225mgで有
効でない場合、高用量ではじめて奏功する例があること
から、患者に説明をして、300mgまで増量し効果判定
をおこなう。他の治療者から筆者のところに紹介されて
くるOCD患者では、薬物療法が少量のまま長期継続さ
れているか、あるいは少量のまま無効と判断されて次々
と薬が変わっている例が多い。症状が安定してから3ヵ
月程度はそのまま維持し、減量する場合は併用薬から
徐々に漸減していく。
フルポキサミンだけで効果がない場合は、クロミプラ
ミンを追加する。以前は、プロマゼパムをよく併用して
いた。わが国では、プロマゼパムが、OCDにある程度
有効であると定評があったからであるが、これは実証的
な研究では、ほかのベンソジアゼピン系よりもとくにす
ぐれているとは言えないようである。エキスパートコン
センサスガイドラインではクロナゼパムが推奨されてい
るが、日本では保険適応がない。非常に不安が高けれ
ば、アルプラソラム、あるいは、クロキサソラム、ブロ
マゼパムを併用している。
以上で効果がない場合、およびその他の問題がある場
合、まずハロペリドール、その次にクエチアピンなどを
使用している。リチウムを併用する場合もある。スルピ
リドも効果があるという研究がある。ただフルボキサミ
ンで有効でない場合は、他の薬を追加しても効果がない
ことが多いようである。たとえばフルボキサミンを使っ
て効かないので、パロキセチンを追加したら著効した例
もあるが、これは投与量の問題だった可能性もある。
重要なことは、薬の持つ心理的な意味に留意すること
である。薬を飲むということがそもそも精神病患者とみ
なされることになるからいやだという狂気恐怖、薬に頼
ることで自分が弱くなることを嫌がる、薬を飲むことで
少し意識水準が低下し、汚いものが来ないように見張り
をするのが困難になるので飲まないなど、薬を飲みたが
らない理由はさまざまである。薬を巡って話し合うこと
で、そこに強迫的な心性がよく現れる。薬を巡って話し
合うということも、精神療法の大切な一領域で、特に
OCDの場合には、十分に話し合っておかないとコンプ
ライアンスが悪い。患者は薬に頼ることを嫌うので、薬
を適切に利用して下さいと言い換えるようにしている。
◆おわりに
OCDをめぐる最近の話題として、有病率の高さ、病
前性格をめぐる論議、強迫性緩慢、生物学的要因につい
てふれた。
ついでOCDの精神療法について、受診しない患者の
心理と家族への対応についてふれ、さらに患者に対する
精神療法の留意点をいくつかあげた。
また薬物療法の実際について筆者の経験を述べた。