そもそもの話、
患者さんが「わたし、うつじゃないでしょうか」と言い、
お医者さかんが「うつですね」という時、
おたがいの「うつ」が何を意味しているか、
かなり、怪しいところがある。
日常日本語で「うつ」が生のままで使われることは少ないと思う。
たとえば、他人に、「あなたはうつです」と言ったら、
かなりきつい人だと思われるだろう。
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二つ重ねて
うつうつとしている
ゆううつと漢語の形で
ゆううつな雨
やや変形であるが、
うっとおしい
語源としては
うつろ(虚ろ) などと通じている。
一般的な語感では、
うつは、「萎れた葉っぱ、枯れた枝」、みたいな感じだろうか。
元気がなくてぐったりしている。
最近話題になる、自殺の傾向については、
「死にたいと悩んでいる人」を「うつ」と日本語で表現してきたとも思わない。
わたしの感覚だと、うつは、萎れた葉っぱ、そんな感じだ。
専門用語としては、
制止と憂うつ、不安を主徴とし、睡眠障害や食欲変化を伴うものとして従来使われ、
不安焦燥を含むので、イライラして怒りっぽいうつとか、そんな言い方もあった。
最近は、
制止、憂うつ、興味喪失、喜び喪失などをうつといい、
不安は一応分離してみたりしている。
不安とうつを内省して分離描写できる人は多くはないと思う。
心療内科の診察室だから、あいまいながら、そんな言葉を使うだけなのだろう。
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言葉の意味の輪郭自体の問題がひとつ、
もうひとつは、
津田先生の論文にもあったが、
現時点で「うつ」におおわれている心が語る言葉であるということ。
さらに、現在では、うつという言葉の意味の拡散が顕著になっていて、
それぞれの人の意味するところがかなり違っていたりする。
たとえば、その人はどんな業界の人なのかとか、
そんなことも参考になる。
高校生がプチうつという。
いろいろあって、「わたし、うつみたいなんです」と言われても、
すぐに医学の言葉に翻訳はできない。
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さらに困った事情がある。
頭が痛いという人について、心身症だと判断して、母親との関係が問題だなと見立てをする。
それは何となく分かりやすい段取りである。
わたしはうつだと言う人について、「うつだという言明」を抽出するのであるが、
その言明を「頭痛がするという言明」と等価のものとして出発していいかどうか。
疑いがある。