月刊 臨床精神薬理
【バックナンバー目次】第6巻2号 2003年2月
●軽症うつ病について
笠原嘉
軽症のうつ状態に注目を促す動きは比較的最近のもので,3つくらいの淵源があろう。1)日本で最初に「軽症うつ病」(1966)と題する書物を発行した平沢一は,1958年から1965年までの間の某大学病院精神科外来でのうつ病診療を集大成した。ここでの軽症とは「精神科外来で治療可能な程度の(躁うつ病性の)うつ病」であった。以降,今日まで続く軽症うつ病概念の中心にある。その背景には精神科外来患者の増加,薬物療法の進歩,メンタルヘルス運動の高揚などがあろう。2)もう1つの動きは,米の心身医学から1970年ころ導入された「仮面うつ病」であろう。前面に出た身体症状ないしは身体愁訴がその背後にある軽度の心理症状をマスクするという巧みな表現で,従来の「うつ気分のないうつ病」をより明確に特徴づけた。精神科よりも内科をはじめ一般診療でより有用な概念である。3)最後に神経症性・人格障害性などの「非精神病性うつ病」がある。元来,時代により文化により論議の絶えない領域だが,今日,たとえばdysthymia,cyclothymia(DSM―IV),soft bipolar spectrum(Akiskal),非定型うつ病などという新しい概念が生れている。今日では心理的治療のみならず,薬物療法の適否の再検討を要する領分にもなっている。話は変わるが,分類上ICD―10(1993)はうつ病にはじめて軽症,中等症,重症の区別をもうけたし,DSM―IV(1993,p719)も大うつ病のクライテリアを満たさない「小うつ病」を検討課題に挙げる。筆者はさらにメンタルヘルスの見地から,世間に残る偏見を一段と排除する目的で非精神病性を明示する「軽症うつ病」が市民権を得ることを切望するものである。丁度「統合失調症」と同じように。
Key words : mild degree of depression, minor depression, masked depression, anhedonia, chronic stage of mild depression
■特集 軽症うつ病の治療を巡るcontroversy
●軽症うつ病の診断的位置付け
坂元薫 鈴木克明
笠原―木村分類のI型を「うつ病」の中核とみなすことを前提として,軽症うつ病概念が包含する種々の病態を批判的に概観し,軽症うつ病診断のありかたを検討した。軽症うつ病として第一に挙げられるのは,DSM―Ⅳの大うつ病性障害軽症型やICD―10の軽症うつ病であるが,症状数による重症度分類の問題性を指摘した。その他,軽症うつ病に相当するものとして気分変調性障害,非定型の特徴を伴うもの,特定不能のうつ病性障害(小うつ病性障害)をとりあげ検討した。明白なストレス因子によって誘発された「うつ病」が抑うつ気分を伴う適応障害と診断されうることに注意を喚起した。また不安障害に併発するうつ状態の成因論的鑑別の重要性を論じた。軽症うつ病診断がその多義性ゆえに「使用に耐えなくなる」事態を避けるためには,大うつ病性障害軽症型(DSM―Ⅳ),軽症うつ病(ICD―10)をその中核に据えるべきことと,「小うつ病」診断基準の充実が望まれることを指摘した。さらに,「うつ病」の早期に見られる軽症うつ病に対する適切な診断と対応が,軽症うつ病診断の最も重要な課題となりうることも指摘した。
Key words : mild depression, mild severity of major depressive disorder, dysthymic disorder, minor depressive disorder, adjustment disorder with depressive mood
●軽症うつ病の生物学――うつ病の発症メカニズムにおけるストレスの役割――
穐吉條太郎
うつ病の発症メカニズムにおけるストレスの役割について,最近になってさらに盛んに研究されるようになってきた。その研究規模も拡大し,対象数が数千人でかつ双生児を用いた研究もある。今回は数十年間のうつ病とストレスに関する研究を文献的に考察した。研究項目としてストレスのタイプと質(ストレスの慢性化と期間,ストレスの時期とうつ病の発症,ライフストレスの領域,ストレスの質),変数(性格・ライフイベント・社会支援・遺伝子・性),ライフイベントとうつ病の経過(重症度とエピソードの期間,再燃と再発),ストレスとうつ病のタイプ(産後うつ病,症候群のタイプ,不安とうつ病)について言及した。
Key words : anxiety disorder, depression, life event, stress, twin study
●プライマリ・ケアを受診するうつ病
佐藤武
プライマリ・ケアにおける大うつ病,軽症うつ病,気分変調性障害の本邦および諸外国の有病率を紹介した。特に軽症うつ病の臨床特徴として,本邦では腰痛,頭痛,頸部痛などの身体症状として表現されることを紹介した。軽症うつ病に使用される治療手段として,抗不安薬(alprazolam・etizolam・tandospirone),抗うつ薬(SSRI・SNRI),抗精神病薬(sulpiride)などが一般に用いられるが,さらに漢方薬,セントジョーンズワートに関しても紹介した。最後に,軽症うつ病では,薬物療法に限らず,精神療法の重要性を強調し,特にWHOが推奨する問題解決療法,最近注目を集めている短期療法として解決志向療法を紹介した。最後に,軽症うつ病(または気分変調性障害)が重症うつ病(抗うつ薬が無効,自殺の可能性が高いなど)に移行することもあり,その際,専門医との連携が必要とされ,入院治療へ繋げることの重要性を強調した。
Key words : depression, dysthymic disorder, prevalence, medication, psychotherapy
●内科診療における軽症うつ病の診断と治療
中野弘一
心療内科におけるうつ病は軽症ないし中等症の特定不能と分類される病態が大部分である。ICD―10で不安障害に分類されている混合性不安抑うつ障害も多く認められる。内科診療においてもうつ病の頻度は高く,また悪性腫瘍に先行する症候や意識障害との鑑別も必要となる。慢性内科疾患管理の中でノンコンプライアンスやコントロール不良は抑うつのサインである場合がある。また診断過程においては悪性腫瘍を疑わせる症候を有するものの臨床検査で異常のない場合は,抑うつを想起する必要のある病像である。SSRIによる薬物治療には少なくなったとは言え抵抗はいぜん存在する。抑うつへの病態理解は気分障害としての部分のみならず広く日常の気分の変調としてとらえアプローチすべき病態も多い。これらの軽症病態には薬物というより言葉による介入が不可欠である。心理的対応もエビデンスが存在している有力な治療手段である。言葉を用いての個別性への対応なしにはぺトスとしての抑うつをいやしえない。
Key words : mild depression, psychosomatic medicine, antidepressant
●メンタルクリニックを受診する軽症うつ病
渡辺洋一郎
CMI(コーネル・メディカル・インデックス)における抑うつ項目の回答と診断との関係を調べたところ,自覚的抑うつ症状は全体の67.6%にみられ,診断は多岐にわたっていた。一方,気分障害でも21.4%は抑うつ症状を示していなかった。DSM―Ⅳの基準をもとに軽症うつ病を規定し,該当症例の経過を調べたところ,軽症例の治療が容易とはいえず,患者の病識,治療への抵抗をめぐる問題,誘因となった心理的要因への対応や心理療法併用の可否,就労などに関する問題など軽症であるがゆえの治療的課題がいくつか認められた。これらのことより,精神科医への新たなるニーズ,症状や質問紙法のみに頼って安易にうつ病を診断することの危険性,軽症うつ病の診療には相当な経験と見識が必要であること,軽症うつ病を狭く規定したとしてもなおさまざまなバリエーションが存在し,治療者の心構えのためにも,治療法の決定や,予後予想に役立つ分類のさらなる検討が臨床的に有意義であることを指摘した。
Key words : mild depression, psychiatric clinic, CMI(Cornell Medical Index), dysthymia, depressive state
●軽症うつ病の薬物療法再考
岩川美紀 寺尾岳
軽症うつ病の定義は未だ明らかとなっておらず,薬物療法の効果も十分検討されているとはいえない。今回我々はDSM―Ⅳで気分変調性障害,特定不能のうつ病性障害に含まれるもののうち小うつ病性障害,反復性短期うつ病性障害,月経前不快気分障害,さらに閾値下うつ病とされるものを軽症うつ病の対象とし,各疾患においてevidenceに基づいた検討を行い,薬物療法が効果的か否か判断した。その結果,軽症うつ病の中でも気分変調性障害,月経前不快気分障害においては薬物療法の有効性が示された。他の疾患については今後さらに研究を重ねて検討していくことが必要である。
Key words : mild depression, dysthymia, premenstrual dysphoric disorder, pharmacotherapy, SSRIs