「食べない、食べられない、食べだしたら止まらない」

これは切池信夫先生の
摂食障害についての本のタイトル。
うまいことを言うものだ。

食べないというのは、強い意志だ。
人間は危機に備えて少しでも脂肪を蓄えるようにできているのだから、
そのメカニズムに反して、意志の力で立ち向かうのだから、
強い力である。

食べられないというのは、
それが意志ではなく、意志よりも下の、潜在的な力にになったということだろう。

食べだしたら止まらないという表現も見事で、
確かにそのとおりだ。

そのことをall or nothing という場合もあるが、
それだけではない。
ぎりぎりまで持ちこたえて、
そのラインを突破されると、もうどうにもできない。

どうしてなのかいい加減なことができない。

食べるというのは負けるということで、
いったん負けたら、そのあとは無力感に支配される
学習性の無力感といってもいいのかもしれない

第一食欲に立ち向かって勝てるはずがない
とても強い本能なのだから

食べる人しか生き残っていないのだから
今生きている人すべては
食欲の勝っている人の子孫なのだ

それなのに食べないと決意するのだから
最初から無理なような気がする
どうしてそんな無理なことを決心するのか

そこにもたぶん学習が作用していて、
すこしだけ節食すると面白いように痩せる
だから学習性の拒食になる

それが次第に内在化するというか器質化して
拒食症になる

それがある点まで持続するが
結局食べ始めて
食べ始めると止まらない

ほどほどということがない

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強迫性性格の人たちも
そんな傾向がある

自分自身についてのハードルを
思いっきり高く掲げてしまう
そしてぎりぎりまで努力する
それはたいしたものだ
そしてその後で疲れきってすべてを投げ出す

このように見れば
強迫性行動にも波があるように見える

食行動についてはもちろん波がある

波が出たときにそれにとらわれるように仕向けてしまうとますます
とらわれる

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食べだしたら止まらない
というのは
確認しだしたら止まらない
というのと似ていて
ここで波が発生するように思う

不可能な目標を掲げている限り
必ず負ける

非常なチャレンジャーであるが
常に負けるチャレンジャーである