風景構成法と農業維持の費用対効果 田園と日本語 原風景と古層

農業維持の費用対効果をどう考えるかが議論されている
個人的には当面かなりの赤字になってもいいから
農業に投資して欲しいと思う

ひとつは農業生産を上げて食糧自給率を上げること
ひとつは失業対策で合理的な公共事業
ひとつは国土の保全
ひとつは未来型産業の育成・最新科学を産業に転化する場としての農業

こうした側面もあるのだが、
もうひとつ、日本人の心を守るという点でも
農業の維持育成を勧めたいと思う

心理療法療法の一つに風景構成法というものがあり
日本独自のもので諸外国ではまだあまり実施されていないようだ

山、川、田んぼ、家、人、木、などを書いて、
田舎の風景を書いてもらうものだ。

日本の田園風景は、
遠景に山、
中景に田んぼ、
近景に花や家など、
うまい具合に配置されている。
都会にしか住んだことのない人にも、
この方法でやる。

多分、絵本などで親しんだ世界でしかないのだろうが、
それでいい
「家の玄関に立ったときの風景を書いてください」というのでは
治療的な意味が薄れる

なぜなら、山、川、田んぼ、家、そのような基礎的な概念がその人の内部で
関係を再統合することを助けたいからなので、
典型的で基本的なアイテムの典型的で基本的な並び方を再度身に付けることで
精神的な内面世界の再構築が進行する。

言葉の世界で概念の関係の再構築を行なうことと並行して、
絵画の世界で行なう。

なぜ山と田んぼなのだろう。
日本人の原風景だといえば
それらしいが
そうとしかいえない。

子供の頃繰り返し聞いた物語は、
やはり日本の農業生産の現場で起こる物語だ。

おじいさんは山に芝刈りに行き、
おばあさんは川に洗濯に行って、
おばあさんは白状しないものの事情があって桃太郎が生まれた。

牛がいたり馬がいたり犬が走り回っていたり
田んぼがあって花が咲いて大きな木があり
子供たちが遊び

そのような「場所」が日本人のこころの(ユング的・河合的な言葉で言えば)「古層」に眠っている。
これは多分、日本語というシステムの古層に横たわるもので、
日本語を学び話す人間である限りは、
脳を再構築するときには、このあたりから再構築しないといけないのではないかと
見当をつけている。

脳の構築に沿って再構築するのがジャクソニスムの原則であり上田先生の主張であるが、
日本語の層構造に従って、再構築するのも大切だ。

脳はハードウェアであり、
日本語は日本人のOSであり、ソフトなのだ。

日本人のOSの基底に農業風景がある。
だから農業はお金をかけてもいいから守っていただきたい。

*****
ついでに傍論を付記すると、
最近はコンピュータを比喩に使って脳のあれこれを説明することも多くなった。

たとえば自分の内部の世界モデルを自由に書き換えることができる人とできない人がいて、
それはRAM(書き換え自由)とROM(読むだけ。書込み禁止)の違いにたとえられると、むかしある先生に教えてもらった。

ハードの故障が精神病で
ソフトの故障が神経症で
どちらも壊れていないが使い方が悪いというのが三番目、
というのも教えてもらった。

ハードは壊れていないし
ソフトも壊れていないのに
うつ病になって通院する人が多いのは
使い方が悪いからだろう

良い使い方は
農業生活にあると感じている

農業は農業で大変だというとは分かる
しかしIT産業の大変さに比べれば
人間は農業のつらさなら耐えられるようにできているのではないかと思う
ITのつらさに耐えられるのはもっともっと未来の人間ではないかと思う

*****
というわけで、自殺者を減らし、精神病を減らし、適応障害を減らし、
平和に暮らすために、農業が最新生活スタイルになって欲しいと思う。
自給自足で安心できるものを食べて、
精神的にも安定して生活できるなら
最新スタイルだ。

光エネルギーを効率よく利用するのは葉緑素だし、
DNAや有用微生物の研究は農業生活を変えていくだろう。

葉緑素に代表される
自然エネルギーの利用の
延長として、耕作地の一部を発電施設にして欲しいものだ。
風力でも光電池でも波発電でもいいから、
発電して自分で使い、余った分を電力会社に売ろう。

将来はクロロフィルの利用を糸口として、もっと効率の良い
光エネルギーの活用ができるのではないかと思っている。
クロロフィルが光エネルギーを化学エネルギーに変えているわけだが、
そのプロセスに割り込んで、効率よくエネルギーを取り出せないかと思う。

*****
秋田と宮崎で自殺が多いというのは、
上のモデルに合わないのだが、どうしてだろう?