1998年前と98年後の世界の変わり方

それまで、日本の自殺者数は2万人程度で推移していた。
1998年に急増し、3万人を超えた。
内訳としては、男性が増えた。女性はあまり変化していない。
失業者数が200万人から250万人の間で推移していた98年2月までの状況では、失業と自殺の平行推移が認められた。
その後、97年秋の三洋証券、北海道拓殖銀行、山一証券と立て続けの大型金融破綻事件がきっかけとなり、98年の5月にかけて失業者が急増した結果、いっきに失業者300万人水準が定着してしまった。
この時期、新産業革命つまり情報通信革命が起こった。1997年から98年の急増期には、50歳代前後の中高年の自殺の急増が中心であった。

バブルがはじけたのは1991年くらい。
自殺者数は少し増えた。

バブルがはじけただけで自殺は急増しなかった。
98年、山一證券倒産、アジア通貨危機。98年末には日本長期信用銀行と日本債券信用銀行が国有化され、その後の我が国企業のリストラへの取り組みの本格化。
当時は日本経済が強かった。アメリカに自動車工場を作ったりしていた。
アメリカを中心とする英語圏の逆襲が始まり、97年Win97、98年Win98発売、
これまで趣味の世界だったものが一気にビジネスユースになり、世界はひとつになった。
経済の仕組みが大きく変わった。
日本人が日本人に売っていればよかった。国内事情で投資が動いていた。
日本のパソコンの世界も、NECが世界市場とは孤立した製品を売り、シェアを保っていた。ワープロでは一太郎、表計算はロータス123だった。Win98になってからWord、Excel、Access、Power Pointがセットで普及し、それが共通プラットフォームになった。

いまから思えば、ビジネス機はIBMや富士通がおさえていたものの、個人用パソコンはNECの独占に近かったものが、がらりと様相が変わった。
わたしにとっては、それが、経済が変わったシンボルだったと今振り返って、思う。

Win98以降は、投資は世界規模になり、国内事情だけですまなくなってきた。
お金の動きとしては、これまでの会社ののれん・信用ではなく、
これからどんな大きなことができそうかという期待値に投資されるようになった。ホリエモン。
情報通信が世界を変えた。たとえば携帯電話が大きく世界を変えた。
人と人とのつながりも仕事の仕方も大きく変わった。
サイバー経済が膨らんだ。

終身雇用制度が崩壊した。人材養成制度が崩壊した。
成果主義が始まった。企業には長期的に人を育てる余裕がなくなった。
短期間で人を評価する。3年目くらいで第二新卒といわれ、
大企業で3年くらいたった人をベンチャー企業がヘッドハンティングするようになった。

チャンスが拡大したとも言えるが、取り残される人も増えた。リストラが増えた。
会社では人数が減って、一人当たりの情報処理量が増えた。
短期で評価されるのでそれにあわせての成果物の提出も増えた。
メールのやりとりとで仕事をするようになると、フェイスツーフェイスのやり取りができなくなり、
一方通行の指示が多くなる。部下としては断れない。上司としては負荷量の把握ができない。
一見便利だが社員を追い詰める。
簡単に言えば、ホワイトカラーの労働生産性を上げることが強要され、
疲れたと言っても通用しない世界になった。
上司はコンピュータ画面で部下の労務を管理するようになった。
日々報告、連絡、相談であるが、持続的慢性的緊張が続くようになった。
それは適応障害としてのうつ病、自律神経失調症、不安性障害(パニック、SAD)の増加につながる。

コミュニケーションの変化は、たとえば、出合い系サイトで子供が被害にあったりするなど、社会問題にもなっている。学校裏サイト。イジメの増加、陰湿化。
プロフェッショナリズムの一方でニートは70万人と増えている。
過重労働とメンタルヘルス危機が明らかになり、対策を模索している。

2003年に入ると新たな状況が発生した。
失業者数がそれほど増加していないにも拘わらず、2003年3~5月の年度替わりの時期に、再び、自殺者数が急増した。
「年齢別自殺者数の年次推移」では2003年の新たな事態は若者や40歳代以下の層の自殺の増加という特徴を示している。
長引く不況は、フリーターの増加など若い層にも影響を及ぼし、社会不安が広く社会全般に及んだ。
年齢別自殺者数.JPG
グラフで見ると、30歳代の自殺が明らかに増えていることが分かる。
50歳代の自殺が相変わらず多いことも問題だが、30台の自殺の確実な増加も問題で、
ニートのように退却してしまった人がいよいよ追い詰められている場合と、
管理される側の過重労働と、
病気であるのに気付かず自殺にいたる場合と、
いろいろなケースが考えられる。