前掲の中川先生の文章には前文がついていて、
省略したのだけれど、概略、次のようなことが書かれている。
マスコミで取り上げている「うつ病」というものは、
いまだにメランコリー型である場合が多く、問題である。
入院紹介状で「うつ病」や「うつ状態」とあっても、
境界性人格障害からアルコール依存症まで含まれている。
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紹介状に「うつ状態」とあった場合、何も書いていないのと同じである。
「適応障害」となれば、うつ状態と書くことさえ遠慮したわけで、
うつ状態では過半は内部の問題ということになるのだろうが、
適応障害では、環境側に問題があるかもしれないと匂わせているような雰囲気もある。
患者さんとしてはそのほうが気分が楽だろう。
土台、こころのクリニックに来るからには、適応障害であるに決まっていて、
適応のいい人は、来ないだろう。
紹介状で、飲んでいる薬がパキシルなどSSRIだといっても、
アメリカではいまやほとんどの病気で、あるいは、病気でなくてさえ、
飲んでいる状況で、病気の見当はつかない。
中川先生も、「薬物療法は必須ではあっても、絶対的なものと考えるのは極論であろう」
と書いていて、つまり、
絶対治るわけではないが、飲まないことには始まらない、という感じだ。
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新橋で開業していると、
富裕層がいて、しかも匿名性が高いので、いろいろな話が持ち込まれる。
東大の先生つながりの紹介は結構多い。
日本は格差社会になった、田舎の駅前のシャッター通りで実感できるとよく言われるが、
新橋で富裕層の話を聞いていると、また別の意味で日本が格差社会になったのだと実感できる。
話を聞いてみると、適応が悪くなって、最初はやはり、
医療機関はためらわれるという。
内科外科の先生方も、すぐには心療内科や精神科を勧めないようで、
まず精神修養の会とかそんなものに行くようだ。
やっていることは大体同じで、
規則正しい睡眠、食生活の改善、挨拶、他人との会話の仕方、
感謝の心、生かされている喜び、小さな自分と大きな自然・神・超越者、
そんなことを指導しながら、ヨーガや太極拳、アロマなどを組み合わせる。
宗教関係なら、ありがたい教えが加わる。
過去世、来世、輪廻からの離脱、敵を愛せ、貧しく清く生きなさい、
教え自体はまことによくできたもので、
その通りにできたらさぞかし幸福で有意義な人生になると思う。
健康食品、サプリ、特殊だという水、特別なアロマ、書籍、
そういったものを「特別な」お値段で分けているようで、
ここらあたりで富裕層の実力が発揮される。
平日の昼に通えるというのも強みである。
仕事しなくても経済的に問題はないし、
肩書きならばすぐに取締役とかつけられる。
月に何回かの会議で黙っていればいいだけらしい。
あとは音楽をきいている。
しかしそれさえもできなくなって、いよいよ心療内科に行きなさいと言い渡される。
だから、最初は、当方とはかなりネガティブな出会いになる。
「ついに」という感じ。
大体のイメージでいうと、精神病とは、
ハリウッド映画で、個室に閉じ込められて、注射をされて、気を失うとか、記憶が消されるとか、
別の記憶が埋め込まれるとか、
そんなホラーなことらしい。
当院には注射さえないし白衣は着ていないというと、かなり脱力するようだ。
心は消毒液では消毒できないので、アルコールの匂いもしない。
内科の先生の病名は適応障害と書いてあるが、
よろしくお願いいたしますというのと同じ挨拶である。
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適応障害の典型例としては、パリ症候群やココナッツアイランド症候群と
マスコミで言われているものがある。
パリやハワイに留学や移住したのはいいけれど、
「こんなはずではなかった」ということが重なり、
一ヶ月くらいで不眠、食欲不振、体重減少、
楽しいはずのゴルフもサーフィンも興味がなくなり、
いったん日本に帰り、3ヶ月くらいすると、すっかり元に戻る、
そんな例。
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さて、精神修養の会や健康道場、さらには宗教関係の集まりでは、
薬が使えないので、大変だろうと思うが、その分、
患者さんに対するノウハウは蓄積されていると感じる。
しかも、物品を販売するので、またはお布施を勧めるので、
その点でも強い精神誘導が必要になる。
広義の催眠術をしているわけであるが、
万全の場面設定をしても、
なかなか誰にでもできるわけでもない。
第一良心がとがめる。
そのような状況を経て、クリニックにたどり着いたということは、
かなりの人間不信があり、疑い深くなっているだろうと推定できる。
猜疑心は、最初からあったのかもしれないし、
このような不幸な体験によって形成されたのかもしれない。
しかし、いずれにしても、知らない方がいい世界ではあった。
一種の精神的トラウマとして残ると思う。
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このように、「適応障害」と言われて、適切な治療を受けないまま、
精神修養して、
青春を失う富裕層は多い。
富裕の場合には、半ばの座敷牢さえ可能である。
本人から閉じこもってくれるのだから。
貧しければかえって早く医療が始まっていたかもしれないのにとさえ思う。
さらにプライドの問題がある。
不調ではあるが、精神的病と認めたくない、
本人も、特に周囲は。
本人はもうかなり疲れているし苦しいので、
精神病でも何でもいいから助けてほしいと思うこともある。
家族は依然として、精神の強さを語り続ける。
世間から羨望されている幸せな我が家で、
そのような不幸があってはならないというわけだ。
不調があるようだから、
ちょっと手当てしましょうと、
考えを変えられないものか。
精神修養の会に行くのは、
お医者さんに、もうこれ以上は手がありません、
精神修養の会でもいかがですかと勧められてからにすればいいのではないか、
順序が逆では事が難しくなる。