マインド(の)マップという、発想を促したり、構想をまとめたりする方法があるのだが、
皆さんはどんな印象をお持ちですか?
好きな人は使えばいいけれど、
私には向かない。
以下は個人的な感想。
だって、不自由じゃないですか。
せっかくフリーな発想を促しているのに、一回書いたら、場所が固定してしまう。
関係を線で引いているけれど、所詮は二次元だ。
結局、頭の中の連想を紙に書くことなので、
「飛躍」は生まれにくい。
全然フリーじゃないし、ブレイクスルーがない。
「紙の上に書かれたマップは、
あたかも脳の構造そのもののようだ」
なんて宣伝しているが、
本気で言っているとすれば、
この人たちの脳神経細胞ネットワークは
平面的で単純らしい。
脳科学者もびっくりだ。
マップは一種のノートなのだが、
土台、私はノートをとらない。
手元にあるノートは一冊だけで、
IDとパスワードをメモしてある。
だから、私のまわりの人はこれを見れば、すぐに
パスワードを破ることができる。
でも、パスワードを破っても、
下書きの項目に、
他人にはわけの分からないメモや文章や図があるだけで、
私としては見られても何の損害もない。
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私はマインド・カードだ。
昔でいう、KJ法である。
最近はカードというほど大きくなくて、7.5×7.5センチのポストイットを使う。
もっと細い付箋でも、手近にあるものを使う。
ただのメモ用紙も使う。
詳しい内容はコンピュータに入っているので、
見出しだけでいい。
付箋のいいところは、糊が着いているので、束ねやすいところ。
そしてすぐに離せるところ。
アイディアを細切れに書く。
単語や文章でもいいし、絵でもいい。切り抜きを貼ってもいい。
新聞・雑誌などの大きい切り抜きはたたんで、
ポストイットだからぺたんと貼り付けて、自分の関心に応じた見出しだけ付けておく。
論文の抜き刷りをコピーしてハサミで切って、
必要な部分や図表などもプールしておく。
この部分は、コンピュータで行うことが多い。
手書きの付箋をつくるときは、××の図、だけで分かる。
あるいはフリーハンドで簡略に書いておく。
ついでにいうと、フリーハンドで簡単に書くときに、
本当に必要な部分はどこなのかが、分かる。
省略することで、オリジナルなものになる。
これも収穫。
そんなのをひとつの箱に放り込んでおく。
適当なときに箱を整理して、おおざっぱな分類をする。
二つの領域に入れたいときは、もう一つメモを作って、もう一つの領域にも入れておく。
ここの重複は、厭わない方がいい。
変な箱に紛れ込ませることで、
発想の飛躍が生まれる。
それぞれのまとまりの中で、さらに分類していく。
数が足りなかったら、また考えて、メモが増えるのを待つ。
是非増やしたいと思う領域があったら、箱に見出しを付けて、用意しておく。
以上のことは、コンピュータで付箋を使いながら容易にできる。
コンピュータ上であれば、文章やスライドにまとめるときに、
付箋の内容をそのままコピーして使えるので手間が省ける。
そんな必要もあるので、私の机の上には、24インチのディスプレイが二台並んでいる。
ひとつはソニーのPC附属ディスプレイで、もう一つはナナオ。
普段はメインのナナオだけを使っている。
個人的には付箋を机の上に広げて、束ねたり、ばらしたりするのも好きで、併用している。
何となく、その方が、「熟成」する気がする。
付箋に書いてあるコマーシャルを見たりすると、どの時期のものか、見当がついたりして、
懐かしくなることもある。
もう一つ、飛躍を促すのは、
バラバラのカードの集合を、他人に分類させてみることだ。
興味のあるものを選び出し、分類してもらう。
この人の頭の中はこんなふうだったのか!
と、驚くとともに、
自分の脳の回路にはない、
一種の飛躍が感じられることがあり、面白い。