性格類型と処方 待合室のファンタジー

診断的な面接をするに当たって、
症状は大切であるが、その背景を構成する性格構造も大切である。

私の場合はこうなる。
中核にあるMAD構造の割合。
それをくるんでいるシゾチームの様態。
そして対人接触場面を決定する、対他配慮、協調性、同調性の質。
これくらいを10回程度の面接で確認しているのだと思う。

親子関係は示準化石のようなもので、歴史成分をたっぷりと含んでいる。
現在の友人関係や会社での対人関係もたいていは過去の関係の反復であるケースも多い。
かなり少ない対人関係パターンで対応している人が多い。

精神療法は現在の問題を具体的に解決していきながら、
同時に過去の問題を解決するものがいい。
そのためにも患者と治療者が共同して取り組むことが出来る治療利益をしっかり設定する。

薬剤は表面に現れた症状をターゲットにすることもあり、
背景にある性格傾向をターゲットにすることもあり、
それは治療利益をどう設定するかによる。
それは究極的には患者が選ぶものだ。
選択肢を提供するあたりまでは治療者が協力してもいい。

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性格構造は、つまり、その人が世界に対してどのように反応するか、その反応の集合であり、
つまりは内的世界モデルである。
正確に言えば、刺激と反応が倒立した世界が脳の中に形成されている。
どのような刺激にどのように反応するか、それを充分な数だけ集めれば、
一つの世界モデルを形成することが出来る。
たいていは矛盾なく整合的であるが、
ときに大きな矛盾を抱え、
その矛盾に命中するような刺激が入力されると、
非常に困る。
困ったときには人間は原始的な反応をする。
どのくらい原始的な反応をするかで、どのくらい困っているかを計ることができる。
大きく困っているときは、世界モデルに大きな矛盾を抱えているときだ。

世界モデルを訂正することが出来ればとてもいいのだが、
「どのように訂正するか」については、難しい問題がある。
だから治療者は訂正の仕方を教えるだけで、
訂正後の着陸地点を指定するのではない。
土台、世界モデルを訂正することは簡単には出来ない。
出来るならとっくの昔に訂正しているはずで、訂正しきれない事情というものがあるはずなのだ。
とすれば、治療者に出来ることは、時間に付き合うこと、
そして時間が熟したら、そろそろなのじゃないか?と言ってあげること、そのくらいだろう。

タイミングを待つのだから無駄も多い。
人生の全部が無駄だといわれれば返す言葉もない。

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処方については、少しでも体調と精神状態の「水位」をあげられれば、それでいい。
きっかけになればいい。その程度だ。害にならないのが一番大切だ。
強迫性性格の人は治療に対しても、薬剤に対しても強迫的になるし、
躁的な人はやはり誇大的なことを空想してみたりする。
うつ的な人は悲観的になりがちである。
そのあたりについてちょっと訂正しながら進む。

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統合失調症については実際、何が起こっているのか、分からない。
一番悪くすると、進行性の崩壊プロセスである。

でも最近思うのだが、虫歯もそんなものだろう。
虫歯に対して正常カルシウム成分が勢力を盛り返して、
虫歯菌を克服してしまうというのは聞いたことがない。
年をとるに従って、虫歯に負ける。
これはじつに進行的で崩壊的なプロセスである。
だから、統合失調症のプロセスが進むとして、老年期まで延ばしていればそれでいいのだと思う。
根治することは必要ない。出来れば一番であるが、できないのだから、仕方がない。
歯磨きでもして延ばすことにする。

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実社会の中で大変なのだから、一息つける場所にしたいが、
わたしは竜宮場は嫌いなのだ。
それなら八丁目に行って欲しいと思う。
竜宮場とは違う意味で一息つける場所。
待つけれど、電車にのって到着を待っているのとも違う時間。
そんな体験にしたいのだ。

映画が始まる前、みんな何かを考えている。そんな時間。

面接の前にはみんな必死で自問自答していると思う。
その時間が大切なのだ。
風呂でも考えるだろうし、布団の中でも考えるだろう。
しかし待合室でも考えるだろう。

待合室でファンタジーは膨らむ。そして自問自答する。
どこまで言っていいか自分に確認する。
そのようなループ。

そのループのかたちが性格なのだが、
それが治療者には見え易くて、患者には見えにくい。
そういうことだ。

反対に、治療者は自分のことが見えにくくなる。それが患者にはよく見える。
だからときどき患者はがっかりする。
こんな人に診察してもらっているのか、と。
でも、治療者が見えるならまだましな方で、
権威の向こうにかすんでいたり、
短時間の接触で何も印象が形成されなかったり、
そんなことも多いだろうと思う。