たとえば、薬剤A,B,Cについて
次のようなプロフィールだとする。
ドーパミン2ブロック 手指振戦 便秘 眠気 吐き気 肝機能障害 腎機能障害
A + + – + - + -
B + – ++ – - + -
C + – – – + - +
こういう場合、単剤でD2ブロックするよりも、
眠前にAを飲んで、BとCを便秘と吐き気が我慢できる範囲で使えば、
D2ブロックは極大化、副作用は極小化できるのではないかと
昔の医者は考えた。
A+B+Cを一単位ずつ飲めば、D2ブロックは+++となり、他のどの副作用も++の範囲に収まる。
ところが単剤でD2ブロックを+++まであげると、どれかの副作用が+++になってしまう。
また、Aがてんかんをひきおこす傾向があり、Bがてんかんを抑制する傾向にあるのなら、
併用すれば都合がいい。
しかしこのようなことは入院していれば都合がいいけれど、
外来では、服薬確認もできないのだから、
患者さんがひそかに薬を選んで飲んでいることは想定しなければならない。
さらに、A,B,Cの薬剤で複合して代謝に影響を与えたりして、
何かの作用が出たりすることはありうることで、
使い慣れた薬ばかりで、実証済みならいいけれど、
中に一剤でも新薬が入ると、何かの症状が起こったとして、
どのような事情なのか非常に分かりにくい。
というようなわけで、新薬開発して売りたい側は単剤処方を宣伝するし、
飲む人にとっても、処方する人にとっても、治るなら、新しい薬はいいことだ。
もともと古い薬を売る会社は宣伝するだけのお金がない。
お金をかけて宣伝すればいかにも効きそうな薬に思えるから、
飲んだ患者さんも宣伝どおりに治って満足だろう。
ブランド品のようなものだ。
荷物を運ぶだけなら紙袋でいい。
時間を知るだけなら、5000円の時計でも足りる。
宣伝費を払って、その宣伝を見て、満足しているようだ。
さんざん売って、特許が切れるくらいに、
実は昔の薬と有効性は変わらないくらい、副作用は少し少ないなどというデータが出始めたりする。
副作用が少ないだけでもずいぶん助かるからそれでいい。
単剤処方はいろいろな面で当然賛成だけれど、
単剤の副作用が出たときには100%直撃であることも怖い。
まあ、その薬が悪かったのだということは分かりそうなものだが、
そんなに簡単ではなくて、
症状そのものが止められなかったのかも知れず、
その点については研究が必要である。
漢方薬には新薬はないし、混ぜて飲むのが原則だ。
ジェネリックという概念もない。
どう見てもそれが一段上の知恵だろうと思う。
市販薬の風邪薬や胃腸薬は実に微妙に成分を複合して配分している。
おおむねの人に合うようにできている。
単剤がいいなら、ガスター10が一番売れるはずだが、
新三共胃腸薬もキャベジンも武田漢方胃腸薬も独特の効き味で、
固定客がいる。
それを単剤でないから悪いとは誰も言わないのも不思議な話だ。
わたしもそれくらい細かく処方をしたいが、薬剤が対応困難になる。
0.1グラム単位で個人ごとに処方を混ぜるのは難しい。
お金を出せば当然できるのだけれど、誰にもそんなお金はない。
一週間とか二週間というのも、あまりにも経済的観点から決まっているものだと思う。
細かく調整したほうがいいに決まっているが、
侍医を雇う余裕のあるひとしか、それは許されない。
チャングムの誓いでは、侍医グループが処方を日々更新していたと思うので、
それが一番正しいと思う。
王に対して、何かの錠剤を一粒夕食後、一か月分などと出せるはずがないと思う。
それぞれ違うのだから。
たとえて言えば、定食か。人は標準でもいいと思うものだ。
体調や好みに合わせて油と塩を加減しろといえるのは、裕福な人だけだ。
気のきく奥さんがいる人は幸せだ。
たとえて言えば新幹線だ。何かの錠剤を標準量飲めというのは、
近くの駅まで新幹線で行って、あとは歩けというのと同じだ。
余裕があるなら最初からタクシーで行って、家の前まで運んで欲しいと思うだろう。
一人一人に合った細かい処方をしていたら、ますます医療費が膨れ上がる。
しかし考えてみれば、医者も薬剤師も特に長生きではないので、
自分にぴったり処方を合わせても、とくに長生きをするものでもないようだ。
急な休みは少なくなるかもしれない。その程度なのだろう。
どうにかできると思う分だけ、無理をするから、結果としては、あまり長生きできないのだろう。
ある医科大学で麻酔科医3人が相次いで麻酔薬で中毒死した事件があった。
薬を自由に使える医師が「疲れ果てている」というのだから、
相当に疲れ果てているはずだ。