誰にも相談できなかったとの言葉が重い。
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笑顔で「順調です」と言っていた患者さん
■「おかげさまで順調です」
まだ医師になって数年の頃、定期的に外来に通ってくる初老の男性患者さんがいた。
かつては、病状が悪化すると同じ病気の娘に暴力をふるうなどの行為があり、何回か精神科に入院したこともあったようだが、外来では笑顔で「おかげさまで順調です。先生のおかげです」と礼を言って診察室を出ていくのが常だった。「先生のおかげ」というのは、さすがに社交辞令と思いつつ、その患者さんが特に問題なく過ごしていらっしゃることは疑わなかった。
■ある日、警察から電話が
ところがある日、警察から電話が入り、この患者さんが縊死したという。私は絶句してしまった。
結局、その患者さんが自ら死を選んだ理由はよくわからなかった。突然に死を思い立ったのか、ずっと思い悩んでいたのかさえ、わからなかった。
しかし一つはっきりしていることは、その患者さんは自分の悩みごとを話すほど私のことを当てにしていなかったということである。もちろん、私だけではなく、誰にも相談できなかったから死を選ばれたのだと思う。
■肝に銘じたこと
私はこの一件以来、「順調です」「先生のおかげです」と患者さんやご家族に言われても、「本当かな」とちょっと疑う性癖が身についてしまった。
患者さんは、病気になったつらさに加えて、この世で生きていくつらさに日々直面しているはずである。それをいつでも気軽に話してもらえるのが理想だが、本当に必要なとき、必ず話してくれるような関係でありたい。そしていつもと違う悩みやつらさを訴えられたら、それを真剣に受け止めて傾聴することを、改めて肝に銘じた。
(白石弘巳)