うつ病概念の変遷

要するにいろいろな考えがあったけれど、それは頭で考えただけで、
新しい薬ができたら全く当てはまらない思弁的specurativeなものだったというお話。

むしろ、そのような説が出されて、みんなそんな風に考えたという一時期があったと言うことは、
パラダイムみたいに考えてもいいけれど、
人間の脳の癖のひとつを提示していると考える。

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うつ病概念の変遷
Concept of depression in transition
中川誠秀、広瀬徹也 2006
メランコリー.執着性格.逃避型抑うつ.soft bipolar spectrum.過労自殺


●古代から中世まで
うつの概念が歴史上最初に用いられたのは,紀
元前5世紀の古代ギリシア時代のヒポクラテス
(Hippocrates)のメランコリア(melancholia)であ
り,これは黒胆汁が脳に過剰に生じるために起こ
るという意味とされ,その実体は恐怖症と抑うつ
を含むものであった.
記載がより詳細で今日に通じるものをもってい
るのは,Aretaeusのものである.彼は,メランコ
リーはマニー(mania)のはじめかその一部分と記
していて,メランコリーとマニーの関連,交代に
触れている点が注目される.さらに,不幸な恋愛
がメランコリーの発病に影響したと,その心因説
にも言及している.
しかし,メランコリーがすべての精神病の総称
として用いられる傾向は長く続き,7世紀のAlexander
も同様の考えながら,マニーとメランコ
リーの関係について,マニーは狂乱にまで亢進し
たメランコリーであるという見方をした.

●近世
18世紀,イギリスのカレン(Cullen)により神経
症の概念が登場するとともに,心気症とメランコ
リーが区別されるようになった.黒胆汁説から近
代精神医学への転換には18世紀の“感覚主義”思
想が強くあずかったといわれる.ピネル(Pinel)は
その主著『精神病に関する医学=哲学論』(1809)の
なかで,メランコリーの本質を“支配観念へのと
らわれ”または判断の誤り”とした.そして疾
病を引き起こすものとしては,落胆,沈痛な体験,
宗教的熱狂,不幸な恋愛などの強い感情的体験の
刻印をあげ,それらが悟性の機能を偏倚させるよ
うに作用するとした.

●Kraepelinの世代~20世紀前半
1913年には,クレペリン(Kraepelin)によって,
今日の抑うつ症候群ともいえるものも含めた内因
性躁うつ病という疾患単位が確立され,現代の気
分障害の原形となった.ここでは単極・双極の区
別がなされておらず,周期性や回復性に焦点があ
てられていた.クレペリンと時期を同じくして,
フロイト(Freud)は攻撃性の反転が自責になると
いううつ病の精神力学を発表し,『悲哀とメランコ
リー』(1917)では,正常範囲の抑うつである悲哀と
病的メランコリーとの本質的な差異を明らかにし
た.

●20世紀後半~テレンバッハとアキスカル
1950年代後半以降,ドイツのレオナルト(Leonhard)
がはじめて用いたmonopolar,bipolarの区分
がスイスのAngstやスウェーデンのPerrisらに
より単極性(unipolar),双極性(bipolar)という言葉
に換わって,より精緻となった.この極性の区別
はその後の国際分類へと採用されるに至ってい
る.
第二次世界大戦はドイツ精神医学に強い影響を
与え,内因・心因の二分法的見方への挑戦となる
精神病理学的見地に立つ概念が発表された.その
なかでも,1961年に出版されたテレンパッハ(Tellenbach)
による人間学的状況概念を用いた『メラ
ンコリー』では,“メランコリー親和型性格と状況
の絡みが発病の因子になる”との説がとくにわが
国では強いインパクトを伴って迎えられ,下田の
執着性格の再評価につながった.
新クレペリン学派といわれるアキスカル(Akiskal)は,
現代の単極性・双極性の二分法に異を唱
え,クレペリンの広範な躁うう病論への回帰を主
張している点で近年注目されている.それは単極
性と双極性に判然と分離されていた気分障害の2
極の中間帯に症候的な移行状態があることを示
し,症候学的に連続的なsoft bipolar spectrumとい
う概念を提唱した.この概念はわが国の精神病理
学と共有する部分も多く,とくにわが国では脚光
を浴ぴてきている.

●DSMシステムの登場
アメリカでは実用主義と合理主義に基づき,
1980年アメリカ精神医学会のDSM-Ⅲ(Diagnostic and
Statistical Manual of MentaI Disorders,3rd Edition)
による操作的診断基準である多軸診断が
用いられ,精神障害(第Ⅰ軸),人格障害(第II軸),
身体疾患(Ⅲ軸)が併記されるようになった.さら
に,成因論の排除の原則から神経症が廃止された
ため,抑うつ神経症が気分変調症(dysthymia)とな
り,気分循環症(cydothymia)と対置された.
DSM-Ⅲ-Rからは,上記の疾患はうつ病性障
害,双極性障害に格上げされ,気分変調症は大う
つ病性障害と,気分循環症は双極性障害と対置さ
れた.精神障害間のcomorbidityが容認され,うつ
病性障害と不安性障害のcomorbidityが脚光を浴
びるようになった.このDSMは現在,DSM-Ⅳ-
TRとして改訂されている.

●非定型うつ病
非定型うつ病は1959年にすでにWestとDally
が提唱していたものの,長らく注目されずにいた
のがDSM-Ⅳになって採用され,国際的分類に認
知された形となった.当初の特徴は過眠,食欲や
性欲の亢進といった逆転した自律神経症状のほ
か,パニック,恐怖症や強迫などの神経症症状で
あった.また,当時のうつ病の主要な治療法であっ
た電気けいれん療法に無効という意味でも非定型
うう病とよばれるようになった.さらに,依存的,
不安定,ヒステリー性格などの性格病理を示し,
“慢性経過”とまで記載された精緻なものであっ
た.DSM-IVでは過眠と過食,ひどいだるさと
hysteroid dysphoriaで重視された持続的な拒絶への過
敏性に加え,気分の反応性が重視されている.

●わが国独自の類型
うつ病は病前性格であるメランコリー親和型や
執着性格との関連で論じられることがまず盛んに
なったものの,日常の臨床ではそのような病前性
格とは異質のタイプのうつに遭遇することが非常
に多くなり,より細分化する必要が生じてきた.
1975年に発表された笠原・木村の分類は,病前性
格,家族背景,発病状況,病像などの多くの因子
をセットとする精緻・網羅的なもので,わが国で
の独特な特徴もとらえていたため,画期的なもの
としてわが国では流布した.そのなかでI型は主
として単極性うつ病であるが,テレンバッハのメ
ランコリー親和型性格や発病状況論などが大幅に
取り入れられた病型となっている.Ⅲ型は1型と
は対照的に,秩序愛や他者への配慮の少ない未熟
な若者にみられやすいタイプで,抗うつ薬の効果
がみられないとされた.このⅢ型は従来の神経症
性うつ病やArietiのclaiming depressionを含むも
ので,葛藤反応型うつ病と仮称された.
引き続き,社会的には高度経済成長の時期で
あったが,古典的うつ病とは異なるうつ病に着目
して,1977年には著者の一人である広瀬が“逃避
型抑うつを提唱した.
その後も1991年,松浪らが記載しだ現代型うつ
病”や1995年,阿部らが提唱する“未熟型うつ
病”などでも,依存性が強く未熟なパーソナリ
ティ傾向をもち,他者配慮には乏しく,どちらか
というと自己愛性で自責の念も感じられないこと
が指摘された.このような分類に該当し,かつ抑
うつ気分はあるが,性格面の偏りが顕著である際
には,DSM-Ⅳの第Ⅱ軸
(パーソナリティ障害)の
診断の併用が臨床上役に立つこともある.
以上の記述をまとめて,うつ病の疾病類型の位
置づけを病前性格との関連を踏まえ,図式化する
と図1のようになる.



●職場関連のうつ病
昨今の30代サラリーマンのうつ病の激増や
40~60代の男性の顕著な自殺率をみてもわかる
ように,わが国の今日のうつ病概念を理解するう
えで職場関連のうつ病は避けて通れない.もちろ
ん,なかには本人の人格がより強く関与している
場合もある.たとえば,“出勤拒否”といえるよう
な,出勤への不安・恐怖症状はあるものの,周囲
の常識的な目でみた範囲では病気ではなく,本人
の意志の問題と思われがちなものがその典型であ
る.
しかし個人の人格のみへの責任の言及は,職場
関連のうつを正しく理解しているとはいえない.
今日の企業では長引く不況により効率化・競争力
の強化が主眼とされ,会社間の合併により会社の
規範・規律が大幅に変化するなど,終身雇用制や
年功序列制は過去のものとなった.とくに1991年
のパブル経済の崩壊後は,追い討ちをかけるよう
にリストラが進み,勤労者の心身にとって余裕の
乏しい体制となった.
過労による疲弊状態でも意欲減退,倦怠感に追
随して二次的に抑うつ気分が伴うことがあり,う
つ病と判断するのが妥当な場合と,職場不適応症
(あるいは勤務困難症)ともいえる場合とがある.
職場不適応症は職場環境因が強く作用した適応障
害ともいえる.適応障害とは,はっきりと確認で
きるストレス因子に反応して,そのストレス因子
のはじまりから3ヵ月以内に,情緒面または行動
面の症状が出現するものである.職場不適応症で
は職場環境と本人の素質や家庭環境が微妙に関連
しているが,症状もうつ病とかなり重複している
ため,明確なうつ病との区別か実際は容易ではな
い.職場で要求されている適応力が人の本来もっ
ている能力や耐性に比較しあまりに大きく,そし
てその努力が徒労に終わる場合,単なるうつ病と
して片づけてよいものであろうか.
現代においては責任感の強いメランコリー親和
型の人は本来美徳とされるその性格が災いし,自
己を追い込んでいく危険もある.とくに中高年男
性では黙々と働き続け周囲に自分の苦境を訴え
ず,せいぜい身体症状から一般医を受診しても何
でもないと放置され自殺に至ることが,いわゆる
過労自殺とされる例で少なくない.

●うつ病と自殺への対策
過労死は国際的に日本特有の社会病理として注
目され,“karoshi”と記されて世界に紹介されてい
る.前記過労自殺も過労死の一種と考えるべきで
ある.わが国の愛社精神・勤労精神は先進諸国の
なかで特殊といえる.“自殺者が年間3万人以上,
交通事故死者を上まわる”などと報道されている
が,平成17年度(2005)より厚生労働省の“自殺対
策のための戦略研究”がはじまり,『うつ予防・支
援マニュアル』を作成するなど,うつ病予防と治
療に遅まきながら種々の対策が試みられている.
企業のなかで健康管理の一翼を担う産業医は内科
医だけではなく,精神科医も不可欠となっている.
臨床現場でも最近ではストレスケア病棟を併設
し,うつ病やその他のストレス性障害を専門に扱
う精神病院も徐々に増えつつある.しかし,この
ような医療プロジェクトに偏らず,国民の生活習
慣や職場環境を考慮した政策が,今後の時代変遷
に応じてさらに多様化・社会問題化するうつ病の
根本的な予防・治療にさらに必要であろう.

●精神薬理,脳科学からみたうつ病
最後に生物学的所見に触れたい.従来うつ病の
成因としてモノアミン(セロトニン,ノルアドレナ
リンなどの神経伝達物質)仮説が主張されてきた.
この仮説でぱうつ病はモノアミンが枯渇するこ
とで発症する.このため,モノアミンの分解や再
取込みの阻害によりモノアミンを増加させると症
状が寛解する”と考えられた.その裏づけとして
の最初の発見は1950年代,結核の治療研究を行っ
ている際に,モノアミン酸化酵素阻害薬(monoamine
oxydase inhibitor:MAOI)投与中の被験者の気分
が高揚したことから,1957年にうつ病治療に用い
られるようになった.その後,三環系抗うつ薬が
広まったものの,その抗コリン作用などの副作用
を嫌い,四環系や選択的セロトニン再取込み阻害
薬(selective serotonin reuptake inhjbitor:SSRI),
セロトニン・ノルアドレナリン再取込み阻害薬
(serotonin and noradrenalin reuptake inhibitor:
SNRI)などの新しい世代の抗うつ薬が適用される
ようになった.そのような変遷から,モノアミン
仮説がいまだ健在であることがわかるが,うつ病
の軽症化のみならず,難治化・遷延化の症例も多
く認められるようになり,古典的モノアミン仮説
の修正が求められている.
気分障害は,モノアミン神経伝達の不足による
にしても,そのメカニズムは当初考えられていた
ものより複雑であるという仮説は,より信憑性が
ある.たとえば,シナプス前細胞とシナプス後細
胞の両者がダウンレギュレーションすると仮定
し,そのどちらがより強くダウンレギュレーショ
ンされるかによって機序が異なるという仮説もあ
る.また,気分障害患者では伝達物質か受容体に
結合してから特定の蛋白質の遺伝子の発現に至る
までの間の過程において,何らかの機能不全が生
じているという仮説などもそのひとつである.
このような知見から,うつ病は心の病ではなく,
脳の病という見方が盛んになっているが,うつ病
における認知療法などの心理社会的な治療の有効
性を考慮すると,脳に作用する薬物療法は必須で
はあっても,絶対的なものと考えるのは極論であ
ろう.

文献
・ 広瀬徹也: 臨床精神医学講座第4 巻気分障害(広瀬徹也, 樋口輝彦責任編) . 中山書店, 1998,pp .3 – 19 .
 ・広瀬徹也: うつ病論の現在(広瀬徹也, 内海健編) . 星和書店, 2005, pp.61-63.
 ・広瀬徹也: 抑うつ症候群. 金剛出版, 1986, pp.51-77 .
 ・ウォーレンシュタイン, G. : ストレスと心の健康―新しいうっ病の科学(切刀浩訳) . 培風館,
2005 pp.103 – 123 .